哲学を理解できない馬鹿が、数学や物理に逃げる
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0001132人目の素数さん
2006/11/09(木) 22:56:130285132人目の素数さん
2006/12/13(水) 09:48:11> >解析概論を読み誤るくらいなら生半可な文系の知識はないほうがいい
> 読み誤ってないです。
そもそも読んでないって落ちじゃないだろうな
> 『解析概論』の
> 特徴は歴史的記述が多いことです。しかも、いちいち細かい点を説明しないといったところは
> あります。
多くの人がアクセスできる文献をあげてるんだからいい加減な言い逃れはよそうよ。
話題にしている微分に関しては導関数を極限で定義し、記号としての微分商dy/dxの正当化は>>191のとおり。
infinitesimalの訳語としての微小数あるいは無限小はランダウの記号と同値なもので極限によりきちんと定義。
いちいち細かく説明してある。
歴史的文脈というのはニュートン/ライプニッツのように直観的な無限小を直接扱うことが
極限操作で記述することによって回避され、また極限操作は実数の完備性により正当化された、という流れではないの?
これをなかったことにして定義のはっきりしない無限小を思いださなければならないことの数学的意味はない。
貞治の本文にも
「このように、現代的の精密論法によって、Leibnizの漠然たる‘微分商’が合理化される。」(p.37)
と書いてある。
0286132人目の素数さん
2006/12/13(水) 10:02:08>物理ではすべての学問は物理に吸収されると思っているそうですよ
そんなことはない。少なくとも、僕が物理の学生の頃は、
そんな話は公私ともに出てこなかった。
そんなことは物理屋の一部の人たちだけしか共感しないんじゃないの?
0287132人目の素数さん
2006/12/13(水) 12:28:50> よくは知らないですが、物理ではすべての学問は物理に吸収されると思っているそうですよ。
> 「物理万能説」だったかな。
で、あんたは「哲学万能説」なの?
0288132人目の素数さん
2006/12/13(水) 16:45:27>R^(*)-Rのうち、任意のε∈R、ε≠0より小さい元。
>R^(*)-Rのうち、任意のε∈R、ε≠0より絶対値max{x,-x}が小さい元x。
0289132人目の素数さん
2006/12/13(水) 17:26:26ε>0
では?
いや、意図的に曲解する人がいたら厄介なんで。
0290132人目の素数さん
2006/12/13(水) 17:39:22そりゃ実験の準備さえ終わってしまえば、長ければ数ヶ月に渡ってひたすら
実験するわけだが、研究全体で見たら、テーマを考え、理論を検証し、
それを裏付けるための実験方法を考案して、実験装置を作ったり買ったり
しながら準備する期間ってのは結構かかるもんだがな。
結果が予想と食い違えば、やっぱり理由を検討してそれを裏付けるための
予備実験の準備をしてと。ひたすら単純作業を繰り返すだけの月も当然
あるが、全体で見れば単純作業には程遠い。
>そうやってアウトプットする機会が多いと思考力がつくわな。
それに引き換え数学科ときたら、お勉強ばっかりで、
修論ですら新しい知見が含まれてない。卒論ない。
新しいアウトプットがないということは、その結果を
『言い切る』ための証拠を血眼になって探して、反論を予想し
それを封じる根拠を探す必要もない。だから考える力もつかない。
読んでる本の難しさだけなら、工学系の及ぶところじゃないんだけど
難しい本の行間生めて考えた気になっていてもしょうがないわけでねー。
0291132人目の素数さん
2006/12/13(水) 17:48:27一応コメントしておくと・・・
・研究が単純作業の反復だけでは無いのは自明。わざわざ反論しなければならんのは恥。
・新しい結果を産む出さない奴はゴミ。ゴミを見下したければ勝手にどーぞw
0292132人目の素数さん
2006/12/13(水) 17:59:30>『言い切る』ための証拠を血眼になって探して、反論を予想し
>それを封じる根拠を探す必要もない。だから考える力もつかない。
あたりまえだ。論理的に厳格に証明が与えられた数学の定理に、
反論の余地はない。で、考える力のないやつに、
論理的に厳格な証明を与えることなどできない。
0293132人目の素数さん
2006/12/13(水) 22:58:24>「無限小」という概念のきちんとした定義はありましたか?
なんにでも「定義、定義」というのは幼稚なことだとアリストテレスも述べていますよ。
> 最初に改めて定義などしなくとも、現代の数学者はみな
これこそ、常識のない態度でしょう。
> 数学の概念は人によって違ったりしません。
本気でそう思っているならなにおかいわんやですね。
>>277
>Newtonの無限小概念をはっきりと示したことになるんですか。
66では”ニュートンがなやんだのは無限小の概念”とはっきり書いているでしょう。
> 解析概論に出てくるある概念をあなたが勝手に「無限小」と呼んでいる、ということでしょ...
あなたみたいな人が納得する本を書く著者は苦労するでしょうね。推察力0なのだから。
> それにただ良い本が無いことを、「悪意」と言ってほしくないです。
無意識の結果であっても、それも広義の「悪意」なのです。
>>278
> それでいて数学の素養の粗末さを決して認めないのは不思議だな。
そんなことはないです。数学も粗末ですよ。ただ必要以上の謙遜はしませんよ。ということです。
>>281
> 僕は混乱を避けるため、超準解析で定式化された無限小を
いまでも、無限小解析という本が出版されていますが、ふつう'無限小解析’といえば
ただの解析学をさします。しかも超準解析といえどアイディアはニュートン、ライプニッツの
ものからきているのですから、名前付けをするとすれば、「超準無限小」とかすべきでしょう。
0294132人目の素数さん
2006/12/13(水) 22:59:33> 数学書選びは、どの本が良いか、というのは読む人によってまちまちで、
>ちょうど恋人選びみたいなところがあります。
いっさいよい本がないとは思っていないです。高木『解析概論』の序文にも’講義式’’教本式’の2類形が示されています。’教本式’は授業を受けることを前提としているのでしょう。
正確、簡潔しかし難読を特徴とするとあります。独習者はこういう本を買っては駄目でしょう。
もし良い本があって独習が楽にいけば、教師も干上がってしまうわけですからこの手の本が
多いのもうなづけます。さらに玄人向きに’全書式’といわれる本もあがられています。
この類形の本は、まったく独習向きではないといえるでしょう。
洋書には良い本があるとよく聞きます。が、残念ながら縁がないです。
>>284
> 埋められないのは単なる基礎学力不足。
数学書をよんだ経験がないのですか?
>>285
> 多くの人がアクセスできる文献をあげてるんだからいい加減な言い逃れはよそうよ。
言い逃れなどしていません。解析概論読み直してみました。△xをどう解釈するかがポイント
でしょう。”εと△xとの積なるε・△xは△xよりも高度に微小になる。すなわち△x→0
に際して、(2)の右辺の第一項なるf'(x)・△xが△yの主要部である”とでています。
この主要部をとる際に△xは無限小になっているでしょう。
コーシーの極限概念をつかった無限小の定義です。”同じ変数の引き続く絶対値が、任意の
与えられた数を下回るように限りなく減少するとき、この変数は'無限小’と呼ばれるものになる。
この変数は0を極限として持つ。”
コーシーも無限小を否定するのは無理と解釈していたから、無限小の定義をしたのです。
>>286
> そんなことは物理屋の一部の人たちだけしか共感しないんじゃないの?
どれだけかはわかりませんが、そういう人もいるということで。
>>287
> で、あんたは「哲学万能説」なの?
いえいえそんな考えは微塵もないです。
0295132人目の素数さん
2006/12/13(水) 23:08:11数学の中でそれはない。
0296132人目の素数さん
2006/12/13(水) 23:10:400297132人目の素数さん
2006/12/13(水) 23:32:190298132人目の素数さん
2006/12/13(水) 23:37:38>与えられた数を下回るように限りなく減少するとき、この変数は'無限小’と呼ばれるものになる。
>この変数は0を極限として持つ。”
>コーシーも無限小を否定するのは無理と解釈していたから、無限小の定義をしたのです。
コーシーによるこの無限小(便宜上、コーシー無限小と呼ぶ)は、
「この変数は0を極限として持つ」というくだりからも推察されるように、
dxのような「単独の」数ではなく、{x(1),x(2),x(3)),・・・}
のような数の系列であって、その定義は、任意に与えた数ε>0に対し、
自然数n>0 が存在して、全ての 自然数m>nに対して、
|x(m)|<ε
が成り立つ・・・といったものです。すなわち、現代の(ライプニッツの)
無限小(あなたの趣味に合わせて、単に無限小と呼べばいいでしょ?
混乱を避けるための努力はしましょうね)とは、
今のコーシー無限小・・・通常の ε-n 論法による数の系列の、一種の「収束プロセス」
なんです。で、数学者が普通に使う「無限小」とは、あなたがおっしゃる
超準無限小のことです。
0299132人目の素数さん
2006/12/13(水) 23:42:09>ただの解析学をさします。しかも超準解析といえどアイディアはニュートン、ライプニッツの
>ものからきているのですから、名前付けをするとすれば、「超準無限小」とかすべきでしょう。
こういう考え方には、全面的には賛同できない。数学的概念の「名称」は、
混乱しないように互いに区別できれば良いのであって、
ひとたび区別された概念の名前をいちいちあげつらって悦にいるのは
数学を学ぶものの態度として不真面目です。
むしろ、
「超準解析の無限小を単に無限小と呼ぶのは耐えられない。
これは超準無限小と呼ぶことにして、ライプニッツの無限小を
単に無限小と呼びたい。」
と、自分の用語に対する趣味をはっきり主張してもらったほうが こちらもすっきりします。
少なくとも、用語に関しては、 あなたが私たち数学系に合わせるのは無理なんで、私たちが、あなたに合わせてあげてもいいですよ。
そのかわり、混乱のないように、異なる概念については 用語上はっきり区別してください。
これは、数学を学習する上での鉄則です。文脈でわかる・・・なんてのは、あなたの甘えに過ぎません。
で、
ニュートン=ライプニッツの昔の無限小・・・無限小
超準解析の無限小・・・超準無限小
コーシーによる定義の無限小・・・コーシー無限小
でどうですか?これら3つは異なる概念ですよ。
これからきちんと区別することを断らない限り、僕はもう、このスレでの議論には加わりません。
なぜなら、数学の議論としては価値がなくなりますから。
0300298
2006/12/13(水) 23:43:570301132人目の素数さん
2006/12/14(木) 00:42:31それはアリストテレスの学識不足。議論で使われる用語の定義を明確にせずに
ただ言葉だけ並べて相手を煙に巻こうとするのは哲学者の
背信的悪意そのもの。
0302132人目の素数さん
2006/12/14(木) 00:46:04自分のことだろ
0303132人目の素数さん
2006/12/14(木) 00:47:35必要な謙遜もしてないだろ
0304132人目の素数さん
2006/12/14(木) 00:50:19Δx はただの実数だ。
0305132人目の素数さん
2006/12/14(木) 00:53:19>に際して、(2)の右辺の第一項なるf'(x)・△xが△yの主要部である”とでています。
>この主要部をとる際に△xは無限小になっているでしょう。
君は収束の概念をきちんと把握していない。
まず、位相空間上のフィルターによる収束を学ぶべき。
0306132人目の素数さん
2006/12/14(木) 00:56:29「無意識」なのに「悪意」という意識があるわけないだろ。
0307132人目の素数さん
2006/12/14(木) 01:01:38正確には、「数学の概念」ではなく、「数学用語の定義のしかた」
かな?数学の概念に対する解釈そのものは、千差万別で、
そこから新しいアイディアが生まれるんだと思います。
0308132人目の素数さん
2006/12/14(木) 01:05:41言い逃れはしていないのは認めるけど、
一方で、君は解析概論をきちんと理解していないね。
0309132人目の素数さん
2006/12/14(木) 01:08:57それは事実ではない。本を一切書かない数学系の大学教授もいる。
私の指導教官にあたる人だ。
0310132人目の素数さん
2006/12/14(木) 01:45:52この人は、「高度の微小数」や「主要部」についての理解はしていないね。
解析概論では明確には述べていないから、仕方がないけど。
0311132人目の素数さん
2006/12/14(木) 01:50:42言うことが変わっちゃったw
数学で定義無しに議論が出来るわけ無いでしょ。
>これこそ、常識のない態度でしょう。
何か函数を微分するときに毎回毎回わざわざ微分することの定義を書きますか?
書かないですよね。みんな知ってるから。こういう態度は常識無いですか?
>あなたみたいな人が納得する本を書く著者は苦労するでしょうね。推察力0なのだから。
「無限小」をあなたのような使い方してる著者が一人でも居たら教えてくださいな。
どうかんがえても少数派なのは間違いないですけど。
>ふつう'無限小解析’といえばただの解析学をさします。
今ではそうでもないですよ。
>しかも超準解析といえどアイディアはニュートン、ライプニッツの
>ものからきているのですから、名前付けをするとすれば、「超準無限小」とかすべきでしょう。
超準解析の一番大事なところはRの外にnon-Archimedesな体を作る方法だと思うけど。
>もし良い本があって独習が楽にいけば、教師も干上がってしまうわけですからこの手の本が
>多いのもうなづけます。
そういうことを考えてわざと書かないわけじゃないですよ。大体、洋書には良い本があると仰いますが
じゃあ諸外国では教師は「干上がって」しまったわけですか?あまり関係ないでしょ。
>数学書をよんだ経験がないのですか?
読んだ経験があっても>>284で全然間違い無いと思うけど。
なんか微分積分もまともに勉強おらず、直交函数系も知らなかったのに
「全書式」に近い実解析の本に対して、自分が理解できないのは本のせいだ!
とか難癖つけてた人が居ました。
>コーシーも無限小を否定するのは無理と解釈していたから、無限小の定義をしたのです。
Wierstrassも高木貞二も「無限小を否定するのは無理」と思ってたんですか?
0312132人目の素数さん
2006/12/14(木) 01:52:32「解釈の仕方」は数学で言う「定義」のなかには含まれないと思うけど。
0313307
2006/12/14(木) 02:04:07いや、あなたの言ったことに反対してるわけではないですよ。
0314132人目の素数さん
2006/12/14(木) 02:12:32では対偶をとって、
教師という職業が存続しているせいで、良い本がないのですか。
では、あなたの欲する良い数学の本は、どんな職業の人が書けるんですか?
0315132人目の素数さん
2006/12/14(木) 02:43:290316132人目の素数さん
2006/12/14(木) 03:12:350317132人目の素数さん
2006/12/14(木) 10:00:33> この主要部をとる際に△xは無限小になっているでしょう。
なってない。
引用箇所のちょっと上の括弧内に
「我々は今xの値を固定している、従って変数はΔxである。」
と断ってΔxを変数とみる立場を明らかにしている。
さらにこの節の末尾の[注意]で
「上記(2)によって、εはxとΔxとの函数ε=ε(x,Δx)として、Δx≠0のもとで定義された」
ともある。
つまり変数の極限をとっているだけ。
変数の0での極限をとることを無限小と呼びたいのかもしれないが、
(それゆえコーシーによる無限小の定義を出したのだろう)
極限によって無限小を定義できるのだから、無限小の論理的基礎は極限操作に在ることになる。
つまり無限小は慣用表現としての存在意義は別として論理的には排除できる概念となった。
0318132人目の素数さん
2006/12/14(木) 21:48:37> 数学の中でそれはない。
フランスで最近出版された本に「無限小解析入門」と銘うってただの解析入門の本があります。
それにオイラーその他無数の数学者の無限小の名がついた超準解析でない本があります。
>>298
> 今のコーシー無限小・・・通常の ε-n 論法による数の系列の、一種の「収束プロセス」
>なんです。
まさかこんなレスがくるとは。曲解の最たるもの。さすがに唖然。
”この変数は'無限小’と呼ばれるものになる。この変数は0を極限として持つ。”
とあります。実はこの定義だけでなくコーシーは無限小による他の概念の定義も行って
いるのです。それでも無限小は極限におきかえられるでしょう。そういう風にコーシーの
理論はできているのですから。そのことは何度も言ってきたことです。
>>299
>自分の用語に対する趣味をはっきり主張してもらったほうが こちらもすっきりします。
295に対するレスを参考にしてください。またコーシー無限小などという言葉は聞いたことも
ありません。言語感覚がすこしおかしいのではありませんか。
>>301
> ただ言葉だけ並べて相手を煙に巻こうとするのは哲学者の
>背信的悪意そのもの。
ヒルベルトも無定義元素というのを認めていたではないですか。
それとアウグスティヌスの言葉
「時間とはなんであるか、だれも私に問わなければ私は知っている。しかし、たれか問うものに
説明しようとすると、わたしは知らない」(告白より)
>>302−303
はいはい。わかりました。
>>304
> Δx はただの実数だ。
無限小です。
>>305
> まず、位相空間上のフィルターによる収束を学ぶべき。
フィルターでたぁぁぁーーーーーーー
0319132人目の素数さん
2006/12/14(木) 21:50:04> 「無意識」なのに「悪意」という意識があるわけないだろ。
無意識に落ちている金をそそくさとポケットにしまったとかないですか?
>>307
>数学の概念に対する解釈そのものは、千差万別で、
これはご賛同いただけたと解釈していいのですね。
>>308
> 一方で、君は解析概論をきちんと理解していないね。
うーん、こたえようがないです。
>>309
> それは事実ではない。本を一切書かない数学系の大学教授もいる。
干上がらないように書かないのかもしれません。
>>310
> この人は、「高度の微小数」や「主要部」についての理解はしていないね。
ご理解しているところを御開陳ください。
0320132人目の素数さん
2006/12/14(木) 21:52:57> 数学で定義無しに議論が出来るわけ無いでしょ。
301へのレスを参考にしてください。
>みんな知ってるから。こういう態度は常識無いですか?
295へのレスをお読みください。
> 「無限小」をあなたのような使い方してる著者が一人でも居たら教えてくださいな。
上に同様。
> じゃあ諸外国では教師は「干上がって」しまったわけですか?あまり関係ないでしょ。
そのことをはやく日本の教師も理解してほしいものです。
> 読んだ経験があっても>>284で全然間違い無いと思うけど。
284でこう言っておられましたね。” 埋められないのは単なる基礎学力不足。”
これに賛同する数学科の学生は少ないでしょう。
> Wierstrassも高木貞二も「無限小を否定するのは無理」と思ってたんですか?
高木貞治もそう思っていたみたいですね。ヴァイエルシュトラースについてはいまはくわしいこと
はいえませんが、クラインが彼の方向性を批判的にみていたことはよく知られています。
>>314
> では、あなたの欲する良い数学の本は、どんな職業の人が書けるんですか?
独学の人がいいでしょう。ゲルファントはそうですが、モスクワ大学の教師になってしまいました。
ですが、独自のセミナーを開いているそうです。
もっとも、苦労して学んだひとは後進にあまり楽に教えたくないという気持ちがどうしても
あるでしょうね。
>>316
> ガウスは「実無限」を認めない立場だったね。
そうですか。「実無限」をみとめないと、現在では数学者の職場確保の問題が生じるので
ガウスも現在なら発言を控えるでしょうね。
0321132人目の素数さん
2006/12/14(木) 21:53:56> つまり変数の極限をとっているだけ。
それこそ言い逃れ。
> 極限によって無限小を定義できるのだから、無限小の論理的基礎は極限操作に在ることになる。
しかし、厳然として無限小という概念は存在しているわけです。
> つまり無限小は慣用表現としての存在意義は別として論理的には排除できる概念となった。
排除しようとおもえばできるでしょう。しかしコーシーはそう考えなかった。なぜでしょう。
それは排除しても、解析学のそこかしこに無限小の概念が見え隠れしてしまうからです。
0322299
2006/12/14(木) 21:55:05不毛な議論になるんで、もうここには来ません。
あとはご勝手に。
0323132人目の素数さん
2006/12/14(木) 22:06:42ない。けど、君にはあるんだね?
0324132人目の素数さん
2006/12/14(木) 23:16:38超準解析が登場したのは1960年頃ですから、
それ以前に書かれた「無限小解析」と題する本は無条件に全て普通の解析の本です。
それ以後に出版された「無限小解析」に関する本は、
超準解析に関する本の方が多いと思いますよ。
>まさかこんなレスがくるとは。曲解の最たるもの。さすがに唖然。
なんで唖然とするのか分かりませんが…
Cauchyは0に収束する変数の事を「無限小」と呼んでいるだけで、
仮に「無限小」と呼ばずに「微小変数」と呼んだところで
彼の理論は数学的には全く影響を受けないわけですが。
>またコーシー無限小などという言葉は聞いたことも
>ありません。言語感覚がすこしおかしいのではありませんか。
CauchyとLeibnizでは「無限小」の指すものが違うということはお分かりでしょうか。
こういう場合に両者を区別して議論したいときには
Cauchy無限小、Leibniz無限小みたいな区別の仕方をすることはよくあることですよ。
たとえば集合Xに関する「X自身との間に全単写があるような真部分集合⊂Xが存在する」
という性質は、選択公理を使わないと「Xは有限集合である」と同値であることが示せないので
Dedekind有限と言ったりします。
それに、上のレスに(便宜上、コーシー無限小と呼ぶ)と書いてありますけど無視されてるんでしょうか。
そもそも超準無限小なんて言葉は聞いた事もありません。言語感覚がすこしおかしいのではありませんか。
>ヒルベルトも無定義元素というのを認めていたではないですか。
「無限小」が無定義術語だと言うのなら、
「無限小」の他の無定義術語との関係を規定する公理が必要になりますね。
この場合はどういう性質の事を言っているんでしょうか。
0325132人目の素数さん
2006/12/14(木) 23:19:20/::. ソ . :;;ヽ,
. /::. ..:::;;;ヽ
/::. ..::;;;;ヽ
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(::. ..::;;;丿
>::...___..::::;;;イ
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( \ .\___ !;|
0326132人目の素数さん
2006/12/14(木) 23:35:33屁理屈こねて居直るだけ。
0327132人目の素数さん
2006/12/15(金) 01:28:18> それこそ言い逃れ。
Δxは変数だと書いてあり、Δx→0の極限を取っているのだから
変数の極限を取っているだけ。
これはもうトートロジー。
それからΔxが無限小というのは解析概論の文脈では明らかに誤り。
Δxが変数であることは明記してあり、この段階で変数のとりうる値は実数である。
実数は第一章で明確に定義されており、無限小は実数の集合に含まれない。
もっともあんたは無限小を明確に定義していない(したくない?)ようだが、
実数の集合に含まれないことは認めてよさそうなので論理的に間違っている。
> しかし、厳然として無限小という概念は存在しているわけです。
厳然とではなく、存在すると思ってもいいという程度。
無限小は極限で定義され、しかも極限を使えば無限小を使わなくても無限小解析が展開できる。
> しかしコーシーはそう考えなかった。なぜでしょう。
> それは排除しても、解析学のそこかしこに無限小の概念が見え隠れしてしまうからです。
違う。
極限操作に置き換えたときに見え隠れするのは実数の連続性の問題で、これはコーシーより後の時代に合理化された。
この辺の事情を知っていればコーシーと高木貞治を同列に論じることはできないのだが・・・
0328132人目の素数さん
2006/12/15(金) 01:34:090329132人目の素数さん
2006/12/15(金) 04:43:34だから、無駄ですよ。親切な忠告にも中傷をもって答える人なんだから。
勝手に吠えさせておけばいいんです。
どうせああいう哲中患者は、数学界には影響力を行使できないんだし。
0330298、299
2006/12/15(金) 04:52:40援護、というか、フォロー、ありがとうございました。
お礼だけ言わせてください。
これで本当に最後です。
あなたも早く、こんなところから脱出して、マトモな日常に戻ったほうが良いと、
僕は思います。
0331132人目の素数さん
2006/12/15(金) 17:03:26いえいえどうも。あなたの仰るとおりだと思います。
確かにこのスレでぐだぐだ議論するより数学の勉強をする方がよほど有益ですねw
ただ数学的なことでふと思ったことがあったんですが、
「Cauchy無限小」を、差がCauchy数列の違いしかないものは同一視して、
非単項超フィルターを用いて同値類を取ると超実数の一つのモデルが出来る
(cf.超積と超準解析 1章)わけで、
これは収束プロセスというより、正真正銘の「無限小」ですから、
「Cauchy無限小」も超準解析も我々が思うよりも近いものなんじゃないのかな、と。
それでも別物なのは間違いありませんが。
0332132人目の素数さん
2006/12/15(金) 17:05:06まあいいや。
0333132人目の素数さん
2006/12/15(金) 22:08:25> ない。けど、君にはあるんだね?
たとえの意味もわからないのではいたしかたないです。
>>324
> Cauchyは0に収束する変数の事を「無限小」と呼んでいるだけで、
定義のなかで、”限りなく減少するとき、この変数は'無限小’と呼ばれるものになる”
とあるのです。文章をちゃんと読みましょう。’無限小と呼ばれるものである”とは
書いてないでしょ。
> CauchyとLeibnizでは「無限小」の指すものが違うということはお分かりでしょうか。
本質的には変わりないものです。
> 「無限小」が無定義術語だと言うのなら、
それは違う話しです。文脈をよくたどってください。
>>327
> Δxは変数だと書いてあり、Δx→0の極限を取っているのだから
>変数の極限を取っているだけ。
Δxが変数であることはいまさらいわれるまでもないこと。で極限をとってΔxはどうなるの
ですか?0になっているのですか?違うでしょう。
> 実数は第一章で明確に定義されており、無限小は実数の集合に含まれない。
そもそもこういう話しを高木貞治がもちだした時点で、第一章の話しがらはずれてきている
のです。首尾一貫してないといえるかもしれません。
> もっともあんたは無限小を明確に定義していない(したくない?)ようだが、
無限小の定義は公知でしょう。
> 極限操作に置き換えたときに見え隠れするのは実数の連続性の問題で、これはコーシーより
>後の時代に合理化された。
それは、「解析の算術化」といわれるもので、デデキンド、カントル、ヴァイエルシュトラース
らによって達成されたものです。解析概論では第一章の内容のいくつかの部分がそれに対応します。
そんなことは当然知っています。
0334132人目の素数さん
2006/12/15(金) 22:10:44> ふと冷静になってみると、Δxとdxの使い分けも無視して無限小だという人に何を説明しても
>無駄な気がしてきた
こういう人にはなにを説明しても無駄でしょう。
>>331
> 「Cauchy無限小」を、差がCauchy数列の違いしかないものは同一視して、
>非単項超フィルターを用いて同値類を取ると超実数の一つのモデルが出来る
>(cf.超積と超準解析 1章)わけで、
このモデルは超準解析をまるで知らなかったときに、自分でもおなじものを作ったことが
あります。それだけに超準解析にはつよい興味があります。
> 「Cauchy無限小」も超準解析も我々が思うよりも近いものなんじゃないのかな、と。
モデルとは無矛盾性の証明のかわりといっていいものですから、そのためにあると考えれば
コーシーの無限小も超準解析もおなじものといっていいです。ただし基礎論関係の人の
面倒な議論はお断りします。そんな知識はないので。
0335132人目の素数さん
2006/12/15(金) 22:25:47>それは違う話しです。文脈をよくたどってください。
単純にあなたが無定義術語(無定義元素)という言葉の意味を知らなかっただけです。
318を読んでもそうとしか取れません。
0336132人目の素数さん
2006/12/16(土) 14:03:12ぐだぐだ言ってる閑があったら超準の本を読め。話はそれからだ。
0337132人目の素数さん
2006/12/16(土) 17:47:13> で極限をとってΔxはどうなるの
> ですか?0になっているのですか?違うでしょう。
違うよ、そりゃ。
極限だもの。
> そもそもこういう話しを高木貞治がもちだした時点で、第一章の話しがらはずれてきている
> のです。首尾一貫してないといえるかもしれません。
話の流れをまとめると
1. 解析概論の本文では「無限小」という言葉をあからさまに使った理論展開はしていない。
2. 『「解析概論」にも無限小概念を使った微分の定義が出てくる』と考えるあなたは
この本の記述が首尾一貫していないように見えている。
3. 私は本文にない無限小概念など考えず、解析概論の記述を首尾一貫して理解している。
ということだな。
> こういう人にはなにを説明しても無駄でしょう。
議論しても無駄ということだけは意見が一致したことになるな。
0338132人目の素数さん
2006/12/16(土) 22:16:40極限だもの。
みつを。
0339132人目の素数さん
2006/12/16(土) 23:02:48> 単純にあなたが無定義術語(無定義元素)という言葉の意味を知らなかっただけです。
301で
>>議論で使われる用語の定義を明確にせずに
>>ただ言葉だけ並べて相手を煙に巻こうとするのは哲学者の
>>背信的悪意そのもの。
と言われました。そこで、定義とはいつでも可能ではないことを説明したのです。もっとも
わざわざ解説しても、あなたは理解する気はないようですし、レスするだけ無駄なタイプの人
のようですね。
>>336
> ぐだぐだ言ってる閑があったら超準の本を読め。話はそれからだ。
これは本当にそうです。
>>337
> 極限だもの。
だから無限小の変数になっているでしょう。
>私は本文にない無限小概念など考えず、解析概論の記述を首尾一貫して理解している。
>ということだな。
そういう頑固なたいどでは、解析学に限らずどんな分野の本も完全なる理解には到達できないでしょう。
> 議論しても無駄ということだけは意見が一致したことになるな。
以下を書いた人と同一人ですか?
>>Δxとdxの使い分けも無視して無限小だという人に何を説明しても無駄な気がしてきた
ふつう使い分けはしますよ。しかし明らかに無限小をΔxで使うこともあります。それに
議論が記号の使い方だけで決まるとしたら、議論は必要ないですね。
0340132人目の素数さん
2006/12/16(土) 23:20:16無定義術語というのは、Hilbertっぽく言うなら、
「机」、「椅子」なんかを無定義術語にして
任意の二つの「机」AとBは、高々一個の「椅子」で「共鳴」する、
「机」AとBが「共鳴」するような「椅子」Cが存在しないとき、AとBは「恋人」であるという、
みたいなわけわかんない言葉を使っても幾何学は展開できるんだ、という事なんですけど。
これは決して
「皆どんな意味の言葉かは大体分かってるんだから改めて定義するまでも無いよ」
ということではありません。
その正反対で数学では無定義術語の「定義」は行わない代わりに、
それ以外の概念は基本的に 全 て 定義可能だと考えるんですよ。
(少なくともHilbertを含む、現代のほぼ全ての数学者の考えでは)
それでも今の「無限小」は無定義術語じゃないのは認めるんですか?
ここで無定義術語の話を出すのは話のピントがズレてますし、自分で自分の首を絞めてますよ。
>そういう頑固なたいどでは
頑固なのはあなたでしょう。
「無限小」に関連してあなたに反論してるのは一人二人じゃないですよ。
あなた以外で、数学科の解析概論既読の人に聞いたら
dxが無限小だと理解してる人はほとんど居ないと思うよ。
十人に一人も居ないと思う。
とりあえず、ここまではあなたも認める?認めない?
0341132人目の素数さん
2006/12/17(日) 17:28:15哲学、数学、物理の例
0342132人目の素数さん
2006/12/17(日) 20:26:58>わけわかんない言葉を使っても幾何学は展開できるんだ、という事なんですけど。
それはまた話しがちがいます。
概念の意味を捨象しても、概念の関係だけで数学理論が築けるという話しで
’点’という言葉の代わりに’犬’をつかっても変わりないというだけのことです。
> 「皆どんな意味の言葉かは大体分かってるんだから改めて定義するまでも無いよ」
>ということではありません。
もちろんそんなことはわかっています。
> それ以外の概念は基本的に 全 て 定義可能だと考えるんですよ。
それは実際にそうだからですか?それとも願望ですか?
もっとはっきり言えば信仰でしょ。
> それでも今の「無限小」は無定義術語じゃないのは認めるんですか?
コーシーの定義を出しているでしょ。
> ここで無定義術語の話を出すのは話のピントがズレてますし、自分で自分の首を絞めてますよ。
それは文脈を考慮しないあなたのとりかたがずれているのです。
> 十人に一人も居ないと思う。
真理が多数決で決まるとおもうならそう考えればいいでしょう。
それに議論は自分の立場を固守するゲームでもあります。このゲームを楽しめないので
あれば数学も楽しめないのでは。
> とりあえず、ここまではあなたも認める?認めない?
シンガポール陥落(太平洋戦争時)のときの山下奉文大将みたいな言い回しがよくある。
感じよくないですよ。
0343132人目の素数さん
2006/12/17(日) 22:25:16>概念の意味を捨象しても、概念の関係だけで数学理論が築けるという話しで
多分聞いたことない話だろうと思って簡単に書いたつもりだったんですけど理解されてますね。
無限小の話と無定義術語がどうのこうのの話は全然関係ないというのもお分かりですよね。
>それは実際にそうだからですか?それとも願望ですか?
実際にそうだからです。
そうじゃないと機械によってJordanの曲線定理の証明をしたりは出来ませんよね。
無定義術語と言っても簡単で、要は概念Aを定義無しに使うにしても、
議論に用いるAの性質は(少なくとも一つの本や理論の中では)有限個しかないのだから、
最初に公理の形で纏めてしまって、あとから前提を追加したり、
最初に前提しなかったAの性質を無自覚に使ってしまったりしないようにしましょうね、
というだけのことで、出来ないはずがありません。
例えば高校の教科書なんかでは極限値の定義は無くて直感的に済まされていますけど
それでも高校の教科書で「証明無しに使う極限の性質」は有限個です。
>それは文脈を考慮しないあなたのとりかたがずれているのです。
Hilbertの無限小は全く関係ない話で、要するに例として不適当なんです。
>真理が多数決で決まるとおもうならそう考えればいいでしょう。
>それに議論は自分の立場を固守するゲームでもあります。
他の大多数の意見を易々と無視し自分が少数派であることの理由を深く考えない、
というのはトンデモの特徴ですよ。
それに数学は「自分の立場を固守するゲーム」ではありません。
実際、数学者は他分野の学者に比べると、
議論していても相手の主張のほうが理に適っていると思えば直ぐに立場を変える傾向があると思います。
それは数学では、人によって定理の証明が正しくなったり誤りになったりはしないからです
0344132人目の素数さん
2006/12/18(月) 14:37:400345132人目の素数さん
2006/12/18(月) 17:45:27http://science4.2ch.net/test/read.cgi/math/1166430783/
0346132人目の素数さん
2006/12/18(月) 21:13:450347132人目の素数さん
2006/12/18(月) 21:17:28の欠陥?
0348132人目の素数さん
2006/12/19(火) 01:11:26> 実際にそうだからです。
> そうじゃないと機械によってJordanの曲線定理の証明をしたりは出来ませんよね。
話しが変わっていますよ。もともと
>> それ以外の概念は基本的に 全 て 定義可能だと考えるんですよ。
こうおっしゃっていました。
それが、
> 議論に用いるAの性質は(少なくとも一つの本や理論の中では)有限個しかないのだから、
>最初に公理の形で纏めてしまって、あとから前提を追加したり、
>最初に前提しなかったAの性質を無自覚に使ってしまったりしないようにしましょうね、
こうなっている。
これは、むしろ述語を全て定義可能な理論の定義でしょう。
数学自体歴史の関数とかいわれますが、定義であれ、公理であれ、いつも完全から程遠い
状態で数学の活動はおこなわれてきたのではないですか?
> それに数学は「自分の立場を固守するゲーム」ではありません。
数学はそうかもしれない、しかし議論で扱われるときには、こういう立場(固守する)も認め
られなくてはまずいとおもいます。安易な同調では真理へのみちはないとおもうからです。
徹底して考え議論した後、相手の主張を認めるということはもちろんありえます。
> それは数学では、人によって定理の証明が正しくなったり誤りになったりはしないからです
これは同意できないです。
ワイルが小平邦彦に語った話しが小平の本に載っていました。ワイルはある証明を、彼が直観主義者
であることによって認められないから、違う証明を考えたそうです。ですから人によって定理の
証明が正しくなったり誤り(不適切)になることもありえます。
さらに言えば、計算機を使った証明を認めない立場もあります。証明の正しさの根拠は
多くの数学者の同意(多数決?)によらなくてはならないという立場からの反対です。
0349132人目の素数さん
2006/12/19(火) 01:49:51白と言っていたのを黒と言ったりはしてないですけど。
>それは実際にそうだからですか?それとも願望ですか?
あなたがこう書いたんじゃないですか。
だから、実際にそうだよ、と言っただけですけど…
>数学自体歴史の関数とかいわれますが
何が言いたいのか分かりませんが…
大体数学自体のことを歴史の函数なんて言った人なんて知りませんが。
定義の無い用語を現代の数学の理論で使うことはありません。
あるとしたら「点」とは何か?「集合」とは何か?といった無定義術語に類するものだけです。
無いものをあると強弁されても困ります。
>これは同意できないです。
排中律を認めない数学者なんてほとんどいないですよ。
数学者数千人に一人居るか居ないかくらいじゃないですかね。
直観主義はもともとBrouwerの個人的信条に基づいた特殊な思想だったのですが
現代ではほぼ絶滅しています。例外的と言って良いです。
計算機を使おうが使うまいが、人がチェックして正しいことが確認できれば
それは正しいと見做すのが普通の考え方かと。
計算機による証明の場合分けのチェックなどを認めないのは、
単に確証の程度が薄いというだけです。
つまり、未解決問題が証明されたときなどは、大抵査読者が付いて
その証明をチェックするわけですけど、もし査読者が無能な数学者だったら、
彼が証明は正しいと保証しても疑念が残りますね。
それと同じことで、立場の違いとまでは言えないと思います。
0350132人目の素数さん
2006/12/19(火) 01:56:17Cauchyの言うところの「無限小」が違うというのは良いのかな。
333とかを読む限り、Cauchyの「無限小」は数列であるとみなしてもよいが、
別なふうに考えることも出来る、というように考えてるのかな。
Cauchyだって「無限小」は自分が数列なり函数なりを使って合理化したから
敢えて昔の定義のはっきりしない曖昧な概念を使う必要は無いと思ってたはずなんだけど
なんでこの人は現代の解析の教科書でも無限小概念が用いられているとか無理な主張をするんだろう。
0351132人目の素数さん
2006/12/19(火) 04:05:21>直観主義はもともとBrouwerの個人的信条に基づいた特殊な思想だったのですが
>現代ではほぼ絶滅しています。例外的と言って良いです。
流石にこれはダウトだろう。計算機屋が怒るぞ。
0352132人目の素数さん
2006/12/19(火) 06:27:06計算機屋の考えでは、有限の立場の数学では?
直観主義とはチョッと違います
0353132人目の素数さん
2006/12/19(火) 06:59:02確立されている(そのルールが哲学者にとって正しいかどうかは別として)
数学では、数学的命題(論理式)がどういう条件を満たすときに
証明可能と呼ぶべきか、そのルールは確立されている。
(そのルールが哲学者にとって正しいかどうかは別として)
数学では、例えば数列 a(n) が実数 b に収束するとは、
次の条件を満たすことである・・・というルールは確立されている:
全ての ε>0 に対し、自然数 n(ε) が存在し、全ての n > n(ε) に対し、
| a(n) - b | < ε がなりたつ。
以上、現在の数学で認められているルールの一部です。
(そのルールが哲学者にとって正しいかどうかは別として)
>>348 の人は、これらのルールを認めないといっているだけ。
それが正しいかどうかなんて、誰にも決められない。
これらのルールを認めないのは自由で、「認めろ」と強制することは
誰にもできないが、そのかわり、ほとんどの数学関係者とは、
価値観を共有できないし、ほとんどの数学者を納得させることもできない。
0354132人目の素数さん
2006/12/19(火) 07:07:31Δx → 0 のときの Δx の極限は 0 になる。
これは現在認められている数学のルールに基づいて
証明可能な定理です。
これは馬鹿にする意味ではなく、単なる確認ですが、
>>348 の人には、このことを認めていただけますか?
0355132人目の素数さん
2006/12/19(火) 07:14:46・・・>>348 の人は、このことが正しいと主張するのであれば、
論理的な構造を明確にして、厳格な証明を与えるべき。
今のところ、そのような証明は与えられていない。
0356132人目の素数さん
2006/12/19(火) 07:20:53「無限小」の概念を、現在認められている
数学のルールに基づいて記述していない。
0357132人目の素数さん
2006/12/19(火) 07:23:51その主張の内容は、絶対に私は認めない。
なぜなら、私を納得させるだけの内容をもっていないから。
0358132人目の素数さん
2006/12/19(火) 07:28:21と解釈するのはその人の自由。
しかし、ほとんど全ての数学者は、そのようには解釈していない。
0359132人目の素数さん
2006/12/19(火) 07:42:35所詮真理とはその人にしか通用しないもの。
人によって真理は異なる。
数学では、与えられたルールの下で「証明可能」かどうかを研究している。
それが哲学者の真理にかなうかどうかは別の問題。
ルールを変えれば証明可能性が変わるのは当たり前。
しかし、自分ひとりにしか通用しないルールを振りかざしても、
誰も共感してくれない。誰も納得してくれない。
単なる自己満足。
0360132人目の素数さん
2006/12/19(火) 07:46:08それならば、議論してもしなくても、結果は同じ。
自分の立場に変化はないから。何も進展はない。
0361132人目の素数さん
2006/12/19(火) 09:00:06> 何が言いたいのか分かりませんが…
数学は時間発展してるんだからこれ自体は正しいんじゃないの?
たぶんこの人がいいたかったのは、数学において真理は時間の関数である、
っていう誰だったか(アティヤーだっけ?)のジョークじゃないかな。
2ちゃんで見た言葉なのでソースは知らないが。
0362132人目の素数さん
2006/12/19(火) 09:10:45>こういう頑固な態度では、解析学に限らず、どんな分野の本でも、
>完全な理解に達することはできないでしょう。
・・・誰の言葉でしたっけ?
0363132人目の素数さん
2006/12/19(火) 09:16:53>あれば数学も楽しめないのでは。
そんなことない。私は議論しなくても数学を楽しめる。
数学の楽しみ方は、一つでない。
0364132人目の素数さん
2006/12/19(火) 10:46:14コーシーが特定の値ではなく、変数Δxの0での極限を考えるこそ無限小と言い換えたときにすでに扱い方の質は異なる。
(その上でコーシーは微分dx,dyを比が微分係数になるものと定義し、dy/dx=f'(x)からdy=f'(x)dxを導いている。)
この2つが本質的に同じだというのなら超準解析は何もしてないことになる。
0365132人目の素数さん
2006/12/19(火) 11:23:52同じものならば、コーシーは何も新しいことをしていないことになるし、
コーシーの収束の定義を、現代のほとんどすべての数学者は
みな同じように曲解していることになる。
何たる偶然!!
0366132人目の素数さん
2006/12/19(火) 11:31:55変態哲学者がいる。有限で済むところを、なんでも
「無限」という言葉で置き換えなければ気がすまないらしい。
0367132人目の素数さん
2006/12/19(火) 11:34:01自分を慰める・・・よくあること。
0368132人目の素数さん
2006/12/19(火) 11:43:27>とあります。実はこの定義だけでなくコーシーは無限小による他の概念の定義も行って
>いるのです。それでも無限小は極限におきかえられるでしょう。そういう風にコーシーの
>理論はできているのですから。そのことは何度も言ってきたことです。
この主張を分析すると、「この変数は0を極限として持つ」とあるように、
極限は0つまり、
極限=0
一方、「無限小は極限に置き換えられる」とあるので、互いに置き換えられる対象の
同等性より、
極限=無限小
したがって、
無限小=0
0369132人目の素数さん
2006/12/19(火) 11:48:00の別証明。
恒等式
無限小=無限小
の左辺において、「無限小は極限に置き換えられる」から、
極限=無限小
いっぽう、「0を極限として持つ」から、
0=極限
したがって、
無限小=0
0370132人目の素数さん
2006/12/19(火) 12:03:36数学者の職場は有限ですが。「実無限」を認めても、有限は有限ですが。
そもそも実無限って、なに?私は認めていませんよ。
認める気もありませんね。非現実的ですから。
「実数の全体の集合」だって、人間の有限の脳細胞から生まれたもの。
それが何で無限に行き着くんですか?
実無限でなく、形式的に記述された、形式的無限でしょ。
0371132人目の素数さん
2006/12/19(火) 12:13:340372132人目の素数さん
2006/12/19(火) 12:18:14機会のプログラムは、自己矛盾がなければすんなり動き、
証明の正しさとは関係がない。
もちろん、機械のプログラムが、正しい証明を
与えられることの確証がえられればはなしは別。
しかし、それは無理そう。本読んで勉強したほうがまし。
0373132人目の素数さん
2006/12/19(火) 12:29:12全ては、原理的に、「∈、=、∧、∨、⇒、¬、∀、∃」という記号と、
変数を表す記号「X_1, X_2, X_3, ...」で記述される。
数学の命題(論理式)は、これらの記号の有限個の組み合わせでえられる、図形のうち特別なもの。
数学の推論または証明とは、これらの論理式の、図形としての有限回の変形規則。
ここには無限は出てこない。全てが有限回の操作で終了する。
0374132人目の素数さん
2006/12/19(火) 17:10:150375132人目の素数さん
2006/12/19(火) 18:45:31いや、直観主義論理に価値を認めてる計算機屋は多いと思うけど
実際に自分の主義として直観主義を採用してる計算機屋はあまり多くないと思うけど。
直観主義論理を研究する事と、実際に数学の証明として排中律を認めないことは別。
>>361
岩波現代文庫「怠け数学者の記」p227
小平 一度アティヤに、「基礎論に興味がありますか」ときいてみたんですよ。
そしたら、ぜんぜん興味がない、厳密性というのは時代の関数だから、そんなこと心配する必要
はないっていうんですよ。
「数学」でも「数学の真理」でも無くて「厳密性」でした。
>>373
俺も中村八束によるJordanの閉曲線定理の証明は認めないwww
0376132人目の素数さん
2006/12/19(火) 18:55:50最近、PRA(primitive recursive arithmetric) というものを知りました。
0377132人目の素数さん
2006/12/19(火) 19:02:06普通は、一番新しい「厳密性」をルールとして採用するのでは?
0378132人目の素数さん
2006/12/19(火) 19:02:400379132人目の素数さん
2006/12/19(火) 20:39:40このことに理解していない哲学者がいる。
0380132人目の素数さん
2006/12/19(火) 20:40:55厳密性だったか。
今度出典をチェックしときます。
0381132人目の素数さん
2006/12/19(火) 20:43:55有限の立場での証明では、ありえます。
0382132人目の素数さん
2006/12/19(火) 20:59:02数学に「逃げた」わけではない。単に哲学より数学が好きなだけ。
このスレタイは、偏見に満ちているな。
0383132人目の素数さん
2006/12/19(火) 21:18:03収束実数列の極限も実数だったね。
哲学者からみたら、曲解の産物なんだろうな。
0384132人目の素数さん
2006/12/19(火) 21:52:02哲学者から見たら、曲解の産物なんだろうな。
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