哲学を理解できない馬鹿が、数学や物理に逃げる
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0001132人目の素数さん
2006/11/09(木) 22:56:130385132人目の素数さん
2006/12/19(火) 21:59:48でも、収束実数列の極限は実数だったね。
収束自体も ε-δ、ε-n で記述していたね。
哲学者から見たら、曲解の産物なんだろうな。
0386132人目の素数さん
2006/12/19(火) 21:59:590387132人目の素数さん
2006/12/19(火) 22:01:20訂正
○ Foundations
× Principles
0388132人目の素数さん
2006/12/19(火) 22:31:28実数だったね。
哲学者から見たら、曲解の産物なんだろうな。
0389132人目の素数さん
2006/12/19(火) 22:39:19収束実数列の極限は実数だったね。
収束の記述も ε-δ、ε-n だったね。
哲学者から見たら、曲解の産物なんだろうな。
0390132人目の素数さん
2006/12/19(火) 22:46:0503911
2006/12/20(水) 01:47:23> だから、実際にそうだよ、と言っただけですけど…
それで、その後の文をその理由付けと思ったら違う話しだったわけですか。
ということは、”実際にそうだよ”だけが定義されてない用語はないということへの
解答ということですか。
> 大体数学自体のことを歴史の函数なんて言った人なんて知りませんが。
よくいわれるのは、「”厳密性"は歴史の関数である」と「"証明”は歴史の関数である」です。
厳密性には公理、定義の完全さへの言及があります。ここまでいえば、数学自体が歴史の
関数といっていいでしょう。だれの言葉か明記しなくとも。
> 無いものをあると強弁されても困ります。
それは今意識されてないだけのことです。歴史を振り返ってみればわかること。
> 直観主義はもともとBrouwerの個人的信条に基づいた特殊な思想だったのですが
特殊な思想は言い過ぎでしょう。ヒルベルトもおおきな影響をかんじていたのだから。
排中律はともかくとして、直観主義の主要な考え方に同意する数学者は多いとおもいます。
それに形式主義も論理主義も下火になってしまったでしょう。みな数学的直観が大事だと
思っているのでは。
> 計算機を使おうが使うまいが、人がチェックして正しいことが確認できれば
ほとんどチェックできない証明ばかりではないですか。取るに足らない、計算機を使う必要も
ない証明をべつにして。
>もし査読者が無能な数学者だったら、
だから複数の査読が必要なんです。もし査読者が有能でも、証明者と同じ党派に属していたら
これも信用できないです。
0392132人目の素数さん
2006/12/20(水) 01:50:14>>383-384
> 収束実数列の極限も実数だったね。
極限が実数であるのはあたりまえでしょう。無限小もコーシーの定義で”0(実数)を
極限にもつ”とあります。
>>390
> 俺は数学は大学でも学ぶが、哲学は独学のみ。
わたしはどちらも独学。
0393132人目の素数さん
2006/12/20(水) 02:02:54> 数学者の職場は有限ですが。「実無限」を認めても、有限は有限ですが。
'実無限’を扱っている数学分野が結構あるので、それがぽしゃると困るわけです。
> 認める気もありませんね。非現実的ですから。
えらい。信念の人ですね。ユークリッドの原論に公理として「部分は全体より小」という
のが出てくるのですが、’実無限’は当然この公理に反しているわけです。
だから’実無限’に関して論理的に奇妙な結果がでてくることは当然考えられます。
そのときは例によって、小手先のテクニックを駆使して当面の難局を乗り切るのが
数学のいつもの歴史です。
0394132人目の素数さん
2006/12/20(水) 02:09:27> それならば、議論してもしなくても、結果は同じ。
>自分の立場に変化はないから。何も進展はない。
固守できなくなったら、そこで負けです。それまで固守するということです。
徹底して守ることによって認識は深まるのです。
わたしへのレスでご返事できないのがありますが、頭が痛いのでごめんなさい。
0395132人目の素数さん
2006/12/20(水) 03:07:38>それがぽしゃると困るわけです
具体的に、どの分野かお教え願えますか?
私は浅学で知らないので。
0396132人目の素数さん
2006/12/20(水) 03:18:27人間が認識できる概念は、あくまで有限。
実際、実数全体の集合 R が無限であるという 性質 も、たとえば、
( ∃f:N → R ) ( ∀x, y ∈ N ) ( f (x) = f(y) ⇒ x = y )
という一つの論理式 ( 記号の有限系列 ) で表現される。
(すでに自然数の全体 N が記号の有限系列で表現されていれば)
数学の全ては、このように、記号(図形)の有限系列で
表現できるし、じっさいに、人間は、
本質的には数学をこういう風に認識してきた。
0397132人目の素数さん
2006/12/20(水) 03:31:31>えらい。信念の人ですね。
あなたも相当強固な信念をお持ちのようですね。
0398132人目の素数さん
2006/12/20(水) 03:41:09>徹底して守ることによって認識は深まるのです。
私はそうは思わない。わたしは自分の新しい考えが正しいかどうかは、
徹底的に疑ってみて、疑う余地がなくなって初めて無矛盾
であろう、と認める。
特に、
>固守できなくなったら、そこで負けです。
という考えには、賛同できない。数学に限って言えば、
数学は勝ち負けを決める競技ではないから。
一定のルールに従って、正しいかどうかを研究する学問です。
0399132人目の素数さん
2006/12/20(水) 03:42:55>頭が痛いのでごめんなさい。
体調がお悪いのですか?お大事にしてください。
0400132人目の素数さん
2006/12/20(水) 03:48:48私は数学は独学だが、全ての定理の証明をチェックしてきました。
0401132人目の素数さん
2006/12/20(水) 03:53:05>無限小もコーシーの定義で”0(実数)を
>極限にもつ”とあります。
だから、無限小=0 です。>>368、 >>369
の人が指摘しているように。
恒等式
無限小=無限小
の左辺において、「無限小は極限に置き換えられる」から、
極限=無限小
いっぽう、「0を極限として持つ」から、
0=極限
したがって、
無限小=0
0402400
2006/12/20(水) 04:01:53>全ての定理を
は、
>自分が勉強した全ての定理を
です。もちろん、ジョルダンの閉曲線定理も含みますw
0403132人目の素数さん
2006/12/20(水) 08:00:20>これも信用できないです。
党派って、数学界にもあるんですか?学派のこと?
査読者(レフリー)は、数学の論文では、
通常、第三者の立場の人が、割り当てられます。
まあ、何でも疑ってかかるのは自由ですが。
それよりも、自分の考えが正しいかどうか、まず自分を疑うのが
数学者のやることだと私は思います。
自分を守る・・・といえば聞こえは良いですが、
ご自分を甘やかすことのないようにしたほうが良いですね。
0404132人目の素数さん
2006/12/20(水) 08:12:56単なるあなたの思い込みです。
現在活躍中の数学者では、具体的に誰と誰が同意してるのですか?
一般的な working mathematician(≒基礎論以外の数学者)は直感主義をとっていません。
0405132人目の素数さん
2006/12/20(水) 08:20:15これは >>404 の人が正しい。
基礎論の分野でも、昔、竹内外史が、Alfred Tarski に、
「直観主義をどう思うか」
と尋ねたところ、
「Philothophically weak and mathemathically ugly」
という答えが返ってきたそうです。
0406132人目の素数さん
2006/12/20(水) 08:28:17旧日本軍みたい。
0407132人目の素数さん
2006/12/20(水) 08:50:43ばーか♪
0408132人目の素数さん
2006/12/20(水) 09:11:400409132人目の素数さん
2006/12/20(水) 09:55:30工学にいった。
今、思えば大正解だったと思う。
数学は異次元
0410132人目の素数さん
2006/12/20(水) 10:06:180411132人目の素数さん
2006/12/20(水) 11:46:35数学(の一部、ガロア理論と実解析とかだっけ?)を独学したと主張しているけど、
定義や用語を思い込みだけで自分勝手に解釈しはじめたら、数学じゃなくなるよ。
彼の中には何か自分で語感?から思い込んだ、特有の「オレ様定義」を生み出して、
それに固執する傾向がある。
そして、その「オレ様定義」の反例などを挙げられると「負けた」と考えちゃうんだね。
「オレ様定義」というか、イメージを持つことは大切だけど、
適切に修正していけないのは(数学を勉強する上で)害悪でしかない。
他の人(“偉い人”が多い)の発言を引用するときも、「オレ様解釈」で都合のいいところだけ
引用してしまう傾向が強い。
タイプとしてはトンデモ系の人で、
何度説明しても(その人が証明したと主張する)証明が間違っていることを認められない人に
似ているような気がしてきた。
0412132人目の素数さん
2006/12/20(水) 12:03:20数学者もいたしね。
数学界では誰からも相手にされていませんが。
0413132人目の素数さん
2006/12/20(水) 12:12:00>そのときは例によって、小手先のテクニックを駆使して当面の難局を乗り切るのが
>数学のいつもの歴史です。
小手先のテクニックで難局を乗り切れれば、それに越したことはない。
最初から実無限を認めなければ、そんな面倒なことをしなくても良い。
私は、あくまで形式的無限で押し通すつもり。
実無限など、現実的にあり得ない。
0414132人目の素数さん
2006/12/20(水) 12:26:470415132人目の素数さん
2006/12/20(水) 14:09:590416132人目の素数さん
2006/12/20(水) 15:07:030417132人目の素数さん
2006/12/20(水) 15:37:47>しかし、たれか問うものに説明しようとすると、わたしは知らない
興味深い文章です。つまり、
「時間とは何であるのか、誰も私に尋ねなければ、
私は知っている気でいられる。
しかし、誰かから質問されて説明しようとすると、
説明できなくて、実は知らないことに気づかされる」
と言うのが正確な意味でしょう。
0418132人目の素数さん
2006/12/20(水) 15:40:150419132人目の素数さん
2006/12/20(水) 15:43:30たぶん今回も「直観主義」という名前に何やら幻想を見てしまったのだろう。
0420132人目の素数さん
2006/12/20(水) 15:46:110421132人目の素数さん
2006/12/20(水) 15:50:08>ない証明をべつにして。
普通証明は、数学者が頭で考えたり紙に書いて行います。
計算機が使われるのは、定理の数から言って、まれですし、
使われると言っても人間が主役で機械は脇役です。
さらに、機械は証明を考える能力を持っていません。
そして、ジョルダンの曲線定理は、機械での証明検証プログラムを作るのに
10年以上かかっています。
本を読んで自分の頭で確認すれば、基礎からやっても3〜4年ですみますよ。
0422132人目の素数さん
2006/12/20(水) 18:17:55>取るに足らない、計算機を使う必要もない証明をべつにして
つまり、この人がチェックできる証明は、取るに足らない証明だけ。
ほとんどの難しい証明は、チェックできてない。
0424132人目の素数さん
2006/12/20(水) 22:17:55「直観主義の主要な考え方に同意する数学者は多いとおもいます。 ...
みな数学的直観が大事だと思っているのでは。 」
だからな。
まさに字面の解釈だ。
0425132人目の素数さん
2006/12/20(水) 23:01:09理解や共感を示すのは難しい。
そういう文脈なら「哲学を理解できないものが数学や物理を勉強する」は正しいなww。
0426132人目の素数さん
2006/12/20(水) 23:13:24このスレで暴れているやつはまさに「哲学を理解できない馬鹿が、数学や物理に逃げ」たタイプだろう。
0427132人目の素数さん
2006/12/20(水) 23:20:200428132人目の素数さん
2006/12/20(水) 23:50:120429132人目の素数さん
2006/12/21(木) 00:47:47「形式的無限」云々は、基礎論かぶれの僕です。
哲学者ではありません。
0430132人目の素数さん
2006/12/21(木) 01:12:57途中からは中学生が書いたみたいな恋愛小説がメインになってたしな。
0431132人目の素数さん
2006/12/21(木) 01:22:38で紹介されているHPに言ってきたが、
このHPやってる人は、商群の定義を勘違いしている。
ルベーグ積分とリーマン積分の違いも理解していない。
何でも、プロフィールによれば医師免許を持っているらしいが、
こういうおかしなことを並べ立てる医者の診察を受けたいとは思わない。
0432132人目の素数さん
2006/12/21(木) 01:23:50訂正
○ 行ってきた
× 言ってきた
0433132人目の素数さん
2006/12/21(木) 01:31:260434132人目の素数さん
2006/12/21(木) 01:41:50そいつ病院にいるが医師ではないんじゃないかww
0435132人目の素数さん
2006/12/21(木) 01:52:12> 私は浅学で知らないので。
もうしわけないのですが、ご自分で勉強してください。
>>396
> 実無限は、私の考えでは、形式的体系における形式的無限に置き換えられる。
このアイディアは、自分でも考えました。
> 数学の全ては、このように、記号(図形)の有限系列で表現できるし
これは実際に実現してから言わなくてはね。そうでなければ、どうかわからないです。
>>397
どうもおほめにあずかって。
>>398
> 数学は勝ち負けを決める競技ではないから。
”数学は”といえば、そうです。しかし、議論のなかには勝ち負けの要素があるからこそ
議論のおもしろみがあるのです。ただし、勝ち負けが議論の目的でないことはいうまでもないこと。
それは、ゲームとおなじことです。
>>399
そうです。ありがとう。
>>400
チェックできる定理のみやってきたのではないですか?
0436132人目の素数さん
2006/12/21(木) 01:53:58> だから、無限小=0 です。
失礼ながら、まだこんなことを言われるのですか?コーシーの定義をもう一度
読み直してください。
>>403
> 通常、第三者の立場の人が、割り当てられます。
これこそ、その証拠といえるのではないですか?
>>404
> 単なるあなたの思い込みです。
こたえづらいですが、広義の直観主義といったものなら多くの数学者がそれであると
おもうのですが。
>>405
>竹内外史が、Alfred Tarski に
タルスキーは数学者とは言えないでしょう。
と言うと、数学者の定義でひともめするかな。
>>417
>説明できなくて、実は知らないことに気づかされる
わからないようですので、もっと簡単な例をだしましょう。
「数学とはなんですか」ときかれたらどうです。
説明しようとしなければ、数学についてある程度はわかっているでしょう。
でも、いざ説明しようとしたら大変だ。そういうことはたくさんあるのです。
もっともソクラテス的な無知に気づいたというならそれはそれで結構ですが。
>>421
>機械は証明を考える能力を持っていません。
またでたらめを言う。簡単な問題なら証明を機械がやっているでしょう。
なにを称して’考える’というのかの問題は残りますかね。
>機械での証明検証プログラムを作るのに10年以上かかっています。
その検証プログラムを検証するプログラムを20年くらいかけてつくってください。
0437132人目の素数さん
2006/12/21(木) 02:01:210438132人目の素数さん
2006/12/21(木) 02:05:17チェックできたから「定理」なんです。
チェックできなければ公理として認めるか、
保留するかしかありません。
しかし、ジョルダンの曲線定理程度なら、チェックは比較的容易です。
>> 数学の全ては、このように、記号(図形)の有限系列で表現できるし
>これは実際に実現してから言わなくてはね。そうでなければ、どうかわからないです。
ブルバキは、その著書「数学原論」で、曲がりなりにも実現させています。
私も自分が勉強した理論については、
それを記号の有限系列で表現する方法の構成を確認しています。
ただ、「表現する方法がある」・・・というだけで、
そのためにはべらぼうな紙と鉛筆が必要。
物理的にはほとんど不可能です。
あなたがおっしゃるのはそういう意味かもしれませんね。
0439132人目の素数さん
2006/12/21(木) 02:06:12「考える」の定義に依存するけれど、コンピュータができるのは(Prologなんかを用いても)
形式的なパターンマッチングや分岐の追跡が限界です。
証明の方針を与えたり「発想」する部分は今のコンピュータじゃまだできません。
0440132人目の素数さん
2006/12/21(木) 02:10:34>失礼ながら、まだこんなことを言われるのですか?コーシーの定義をもう一度
>読み直してください。
ほんとに失礼ですね。あなたの主張から、論理的に
無限小=0を導いただけです。
それに、私の立場では、コーシーは、無限小の定義を記号の有限系列で
記述していません。言葉を並べているだけで、
定義を与えたとはいえません。
まず無限小の定義を記号の有限系列で表現する方法を
提示してください。
でなければ、私はあなたの主張を認めません。
0441132人目の素数さん
2006/12/21(木) 02:17:12>またでたらめを言う
中傷は止めてください。議論をするのであれば、
相手に対する礼節も必要。
ゲーデルとタルスキーによって、次のことが示されています:
「任意に与えた論理式が形式的体系から証明可能かどうか
・・・それを判定するアルゴリズムは存在しない。
ただし、形式的体系は、自然数論の公理を含むとする。」
>タルスキーは数学者とは言えないでしょう
それはあなたがそう思っているだけです。
0442132人目の素数さん
2006/12/21(木) 02:18:15あんたが思い描いている「直観主義」は数学の人が使う用語としての「直観主義」とは異なっている。
まずはその間違え(思い込み)を認めなさい。
また Tarski は数学者であり論理学者である。
0443132人目の素数さん
2006/12/21(木) 02:21:56だから、説明できなくて、実は、「数学とは何か」
知らないことに気付かされるのです。
私の数学の学識は、九牛の一毛をつかんだ程度。
「数学とは何か」知っているとは、人前ではとても言えません。
しかし、自分ひとりで勉強していると、「数学とは何か」
わかったような気になれるのです。
0444132人目の素数さん
2006/12/21(木) 02:23:13>その検証プログラムを検証するプログラムを20年くらいかけてつくってください。
お断りします。そんな作業に、私は価値を認めません。
0445132人目の素数さん
2006/12/21(木) 02:28:05>これは実際に実現してから言わなくてはね。そうでなければ、どうかわからないです。
数学を記述している記号・言葉は、すべて図形で表現されている。
例えば、「収束」という漢字も、窮極的には図形。
だから、実際に、われわれは、数学のみならず、全ての学問を
図形の有限系列で表現している。
0446132人目の素数さん
2006/12/21(木) 02:30:43哲学電波塔には無理だと思う
自分の立場を固守する=我を張る=屁理屈をこねる
だから。
0447132人目の素数さん
2006/12/21(木) 02:33:56>”この変数は'無限小’と呼ばれるものになる。この変数は0を極限として持つ。”
>とあります。実はこの定義だけでなくコーシーは無限小による他の概念の定義も行って
>いるのです。それでも無限小は極限におきかえられるでしょう。そういう風にコーシーの
>理論はできているのですから。そのことは何度も言ってきたことです。
この主張を分析すると、「この変数は0を極限として持つ」とあるように、
極限は0つまり、
極限=0
一方、「無限小は極限に置き換えられる」とあるので、互いに置き換えられる対象の
同等性より、
極限=無限小
したがって、
無限小=0
0448132人目の素数さん
2006/12/21(木) 02:34:55の別証明。
恒等式
無限小=無限小
の左辺において、「無限小は極限に置き換えられる」から、
極限=無限小
いっぽう、「0を極限として持つ」から、
0=極限
したがって、
無限小=0
0449132人目の素数さん
2006/12/21(木) 02:38:05>またでたらめを言う。簡単な問題なら証明を機械がやっているでしょう。
>なにを称して’考える’というのかの問題は残りますかね。
事実をいうと、機械はオリジナルの証明図を構成する能力を持っていない。
0450132人目の素数さん
2006/12/21(木) 02:42:46この人の攻撃的な文調、何とかならないか?
議論しているというより精神障害者が駄々をこねているようにしか思えないが。
0451132人目の素数さん
2006/12/21(木) 04:15:07そういうアピールだから
0452132人目の素数さん
2006/12/21(木) 05:27:05>> 私は浅学で知らないので。
>もうしわけないのですが、ご自分で勉強してください。
つまり、哲学者も実無限が実際に扱われている数学の分野を知らないわけだ。
そりゃそうだろう、ないものは扱えないんだから。
0453132人目の素数さん
2006/12/21(木) 05:32:16この記述は、無限小の定義を与えてはいない。
「この変数」がなにかあるものになり、それを「無限小」と
呼ぶ・・・そういっているだけ。
その何かあるものの数学的定義式は与えられていない。
単に無限小という名前を付けているだけ。
したがって、「無限小」を「虫垂炎」で置き換えても一向に構わない。
無定義なんだから。
0454132人目の素数さん
2006/12/21(木) 05:35:34では、あなたにとって、ここでの議論の目的はなんですか?
一番大事なことです。
議論を楽しむのが目的・・・そう言っていただいてもかまいませんよ。
0455132人目の素数さん
2006/12/21(木) 05:44:40>>チェックできる定理のみやってきたのではないですか?
もうひとつ。私が定理のチェックが容易な本を選んで学習してきたのも事実。
今は 「Elements of homotopy theory」(GTM) を読んでいる最中。
これもきれいに書いてあり、まじめにやれば定理はチェックできる。
(一部に引用されているほんとに難しい定理を除く。)
たとえば、第1・2章は、完全にチェックできた。
それだけ記述がしっかりしている。
このように、自分にあった文献を見つける作業も大事です。
定理がチェックできる=その定理が取るに足らない
・・・そう思うのはチェックできない人の僻みとしか見てもらえませんよ。
0456132人目の素数さん
2006/12/21(木) 06:00:34>おもうのですが。
それはあなたがそう思っているだけ。「広義の直観主義」なんて、
今まで聞いたこともありません。
0457132人目の素数さん
2006/12/21(木) 06:04:04反対者の言うことを全部「認めない」と言い張っていれば、
マトモな議論などしなくても自分の立場は固守できる。
我を張ればよいのだから。
これは哲学者の理性ではなく、感情の問題。
0458132人目の素数さん
2006/12/21(木) 06:20:21>そいつ病院にいるが医師ではないんじゃないかww
確かにその人、病院にいると思います。
神経科の入院患者として。
0459132人目の素数さん
2006/12/21(木) 08:42:16とても「議論」とは言えない。
0460132人目の素数さん
2006/12/21(木) 09:07:03字面からによる勝手な解釈のせいだと気がつかず、
他の理由を見つけようとして、
「哲学」というキーワードを振り回してるだけに見える。
0461132人目の素数さん
2006/12/21(木) 10:02:21全然足りてない。
そこを自分の解釈だけで押し切ろうとしているのか、
気がついていないのかまではわからない。
0462132人目の素数さん
2006/12/21(木) 15:53:20>>1
数学は哲学じゃん(笑
物理は論理学だけどさ
0463132人目の素数さん
2006/12/21(木) 16:23:54彼は自分の誤りをまったく認めようとせず、
誤った自分の立場を、だだをこねて固守していた。
ここの哲学者とまったく同じ態度であった。
0464132人目の素数さん
2006/12/21(木) 16:27:19「字面主義」いや、「語感主義」かな?
この学派には、一人しか属していないが。
0465132人目の素数さん
2006/12/21(木) 16:56:29直観よりも直感のほうがいいかな
0466132人目の素数さん
2006/12/21(木) 17:30:11理論を学ぼうとしていたのかよくわかって興味深い。
きっと「フレーゲ」も「解析」も2週間くらい、しかも後半は恋愛小説執筆で終わらせたんだろう。
# でも「直観主義」はそれすら未修だな。
0467132人目の素数さん
2006/12/21(木) 19:27:29の別証明。
恒等式
無限小=無限小
の左辺において、「無限小は極限に置き換えられる」から、
極限=無限小
いっぽう、「0を極限として持つ」から、
0=極限
したがって、
無限小=0
これはだめなんだよ・・・・
0468132人目の素数さん
2006/12/21(木) 19:54:12直観主義の主要な考え方に同意する数学者は多い?
多くないですよ。誰ですか、その数学者は。
Brouwerのtwo-onenessとか、当時でさえもほとんど誰も理解できなかったのに
同意する数学者が多いわけないじゃないですか。
>それに形式主義も論理主義も下火になってしまったでしょう。
形式主義も論理主義も下火になってしまった→今は直観主義全盛の時代になった、と。
>みな数学的直観が大事だと思っているのでは。
数学的直観が大事→つまり今の数学者は直観主義、と。
ごめん、何を言ってるのか検討もつかない。
>こたえづらいですが、広義の直観主義といったものなら多くの数学者がそれであると
>おもうのですが。
広義の直観主義って何ですか?
数学的直観が大事、インスピレーションが大事だよ、みたいなお話?
それがBrouwerとかHeytingとかのIntuitionismと何の関係があるのかわかりませんけど。
0469132人目の素数さん
2006/12/21(木) 20:47:10このような主張は、カントールの集合論に対抗する形で、クロネッカーやポアンカレによってもなされていたが、
最も明確に表したのは、オランダのトポロジスト、ブラウワー(Luitzen Egbertus Jan Brouwer、ブローウェルとも)である。
彼は、数学的概念とは数学者の精神の産物であり、その存在はその構成によって示されるべきだという立場から、無限集合において、背理法によって、非存在の矛盾から存在を示す証明を認めなかった。
それ故、無限集合において「排中律」、
すなわち、ある命題は真であるか偽であるかのどちらかであるという推論法則を捨てるべきだと主張し、ヒルベルトとの間に有名な論争を引き起こした。
ヒルベルトの形式主義は、直接的にはブラウアの主張から排中律を守り、数学の無矛盾性を示すためのものと考えることができる。
直観主義はその内容から、数学の証明は全て構成的に為されなければならないという主張(数学的構成主義)の一つとみなされている。
ブラウアの主張は、哲学的で分かりにくかったが、その後ハイティング等によって整備され、結果的には古典論理から排中律を除いた形で形式化されたものが今日、直観主義論理として受け入れられている。
直観主義論理に基づく数学によって得られる成果は、古典論理に基づく数学に比べて制限されたものにならざるを得ない。
具体的には、ab=0 から a=0 または b=0 を直接結論することはできない。なぜなら、直観主義においては、「a=0またはb=0」が証明できるというのは、「a=0」が証明できるか、または「b=0」が証明できることを意味するからである。
また、有界な実数の部分集合は上限を持つというワイエルシュトラスの定理が証明できない。多くの数学者は、個人の精神とは独立した数学的実在を暗に認める立場から、直観主義に賛同せず、排中律の使用も妥当と感じている。
しかし、直観主義は単なる思想としてだけではなく、実際の数学において、また計算機科学においても様々な影響を与えている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%B0%E5%AD%A6%E7%9A%84%E7%9B%B4%E8%A6%B3%E4%B8%BB%E7%BE%A9
0470132人目の素数さん
2006/12/21(木) 21:58:590471132人目の素数さん
2006/12/21(木) 22:09:33>これはだめなんだよ・・・・
だめの根拠は?
哲学者の主張から機械的に
無限小=0を導出しただけです。
だめなのは、哲学者の主張でしょ。
0472132人目の素数さん
2006/12/21(木) 22:10:090473132人目の素数さん
2006/12/21(木) 22:12:17つまり、哲学者がダメなんです。
0474132人目の素数さん
2006/12/21(木) 22:13:08> 数学的直観主義(すうがくてきちょっかんしゅぎ)とは、数学の基礎を
> 数学者の直観におく立場のことを指す。
なんだ、この出鱈目は・・・
0475132人目の素数さん
2006/12/21(木) 22:16:45現実の世界で、誰が「無限集合」を構成できるのか。
0476132人目の素数さん
2006/12/21(木) 22:32:17電波飛びまくっているからね。
0477132人目の素数さん
2006/12/21(木) 22:43:31>これはだめなんだよ・・・・
だめの根拠は?
哲学者の主張から機械的に
無限小=0を導出しただけです。
だめなのは、哲学者の主張でしょ。
いや
意味はあってるんだけど
記述の仕方みたいなの
なにかのテストとか模試とか入試とかでそれを書いたら×になる
0478132人目の素数さん
2006/12/21(木) 22:51:030479132人目の素数さん
2006/12/21(木) 22:56:42ご指摘ありがとうございます。
しかし、哲学者相手に、いまさら数学的に厳密な記述のルールを守っても
意味ないと思います。
哲学者は数学のルールを完全に無視しているので。
さすがに、論文にあんなことは書きません。
0480132人目の素数さん
2006/12/21(木) 23:00:48「電波主義」が正確なところかな?
0481132人目の素数さん
2006/12/21(木) 23:02:361円歌手ピ(Rain)のミュージックビデオの背景が、どうみても原爆投下直後の広島を彷彿とさせる映像になっている。
明らかに原爆ドームと思しき建物も確認できる。
這いずり回る被爆者や、キノコ雲のような爆発シーンまである。
ちなみに「原爆」は韓国人が日本人へ嫌がらせによく使う言葉。
http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=teconomy&nid=2689555
唖然!鎖で吊るした日本人をボコって悦に入る韓国HIPHOPクルーのPV!!!!コリアンは愚かで卑しい事実が解る!糾弾せよ!!!!!!!
(南朝鮮で日本人を侮辱するための言葉として使われているチョッパリという言葉などを使って日本を罵倒する系のラップ)
http://www.youtube.com/watch?v=F5hb_pb_heA
【舞鶴】韓国人に乗っ取られた神社視察オフ http://off3.2ch.net/test/read.cgi/offmatrix/1166533550/
痛いニュース+ http://news18.2ch.net/test/read.cgi/dqnplus/1166530832/l50
「神社を潰す」 宮司を強迫、韓国人を新役員に 脱税目的の神社乗っ取り事件 - 京都・舞鶴
毒男板 http://etc4.2ch.net/test/read.cgi/male/1166530688/l50
【韓国人】京都の神社を乗っ取り、鳥居など撤去も
▼対馬の神社にて。他人の絵馬に汚らしい落書きをして帰る、呆れた韓国人観光客
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/9d/58c010020f969b5aafec64fb41cef924.jpg
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/95/1bb60b381d7d1105a14c3f3059f570f5.jpg
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/2b/03e3587d0ec1974e7994ad58a634a924.jpg
▼対馬の神社にて。鳥居に向けて石を投げる韓国人観光客たち
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/75/3dd4d047933fa7e44e0d938d328647f9.jpg
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/59/ef86e1946e8a72e3c6de64845f7e0eed.jpg
0482132人目の素数さん
2006/12/21(木) 23:17:59<証明>
無限小とは、コーシーの定義より0に限りなく近づいていく値である
f(x)=1/xはxの値が増えるごとに0に近づいていく
x→∞のとき、1/xの値は限りなく0に近くなるので
lim[x→∞](1/x)=0
よってx→∞のとき、すなわち1/xが無限小となるときの極限値は0である
したがって、無限小=0である
<証明終わり>
0483132人目の素数さん
2006/12/21(木) 23:24:400484132人目の素数さん
2006/12/21(木) 23:41:35>”この変数は'無限小’と呼ばれるものになる。この変数は0を極限として持つ。”
>とあります。実はこの定義だけでなくコーシーは無限小による他の概念の定義も行って
>いるのです。それでも無限小は極限におきかえられるでしょう。そういう風にコーシーの
>理論はできているのですから。そのことは何度も言ってきたことです。
この主張を分析すると、「この変数は0を極限として持つ」とあるように、
極限は0である。
一方、「無限小は極限に置き換えられる」とあるので、互いに置き換えられる対象の
同等性より、 「無限小」と「極限」は同じ概念である。
(同じでなければ置き換えはできない)
しかるに、極限は0であった。
したがって、無限小は0である。
証明終わり
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