分からない問題はここにかいてね340
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04508
2010/09/13(月) 21:01:17問題になってきた。長いからいきなり全部張って意味不明というのはお互い損なので
ちょっとだけ張らせてくれ。できるだけゆっくりと読んでもらえると助かる
写像は要素でないか。あるいは自分自身をその要素として含まない集合について
対角線論法を聞いて最初に感じたのは写像の数はいくつあるのか、写像は本当に有るの
かということだった。数える物は数えられるものより大きいと考えるならば、自然数要素
を実数要素へ対応付けする写像の数は自然数と同じかそれより大きくなくてはならない。
しかそう考えると無限は比較できるかという証明の前に、写像の数が「十分に」それらを
数えられるだけの無限であると考えねばならない。しかしこれは写像というものものも
要素として考えてしまう事によって、自然数と実数の中間項として考えるがゆえの矛盾である。
しかしまた写像は中間項ではないのだろうか。
この問題はひとまずおいておいて、背理法とは何かを考えてみる。大まかにわけて私は
背理法には二つの段階があると考える。ひとまずベン図のようなもので考えるとわかり
やすいが、紙に円を書きこの内側をA,外側をB,線の中をCとしよう。Cは排中律が働くと
き存在しない。二つの背理法とは排中律が働いているかどうかである。といっても背理
法は排中律があるからこそAorBとできるのではないかと思われるだろう。しかし大抵の
背理法には、あるいは実際の背理法は中間が働いていなければ成立しないのである。上
記の話で言えば写像や対応付けであるし、数学に限定せずとももっと一般的な言葉で言
えばAとBの「関係」が無い限り背理法を行うことはできない。√2は無理数であり有理
数でないし無理数と有理数の中間の数は存在しないが、無理数と有理数の関係も存在し
ないのだろうか。しかし「AとBの関係あるいは中間が存在していないことが背理法の結
果でなく前提としわかっているのであれば、√2が無理数or有理数という考え(関係ー
あるいはC)において、有理数とするならば、という仮定を立てること自体が矛盾している」
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