>>652
はい、数学でも「ある程度」は論理的な思考のトレーニングは出来るでしょうが、それ以前に
国語等でそれが身に付いていた方が「遥かに有利、かつ容易」だと思います。

それで>>650は確かに「数学の研究者としての立場」であると思います。然し、たとえ「道具
としての数学」であっても、その習得は記憶に頼るよりも「理解する」方が遥かに簡単だと思い
ますが、これだけは当然の事ながら各人に依存すると思います。

なので>>651ですが、もしも「(道具としての)数学の習得は常に記憶に頼るべき」という結論
であるならば、全く意味はありません。然し「理解という立場」を(僅かでも)取るのであれば、
これはもう国語でも何でもいいですから、入り口としての「論理的な考え方を準備する」しか他
に逃げ道はないと考えます。

お騒がせしましたが、取り敢えずは以上です。また何かありましたら教えて下さい、時々覗き
ますので。