>例えば「漢字の丸暗記」や文学作品の名前や作家の丸暗記は、
>「日本人としての素養」ではあっても決して「論理的な思考のトレーニング」ではないと…

現在行われている国語教育が「論理的な思考のトレーニング」を行っていないことについて
批判しているのであって、「論理的な思考のトレーニング」は国語教育でしっかりと行うべき
ことだと思います。数学という学問体系が最も「言語依存性が無い」というのは、他の学問
体系に比較してのことであって、「言語依存性がゼロである」とはその哲学者の方も言って
いないと思いますが…

我々は言語活動を通じて学びます。体系として言語依存性が薄くても、入ってくるときは
十分すぎるほど国語力に左右されます。生徒が問題自体を「読めない」現実を見れば
明らかです(読めさえすれば「言語依存性」に左右されなくなるのでしょうが)。

また、数学は「技術ではなくて概念」「問題というのは解くべきものではなくて創るべきもの」
というのは、私にとっても自明のことです。しかし、そのことに固執するあまり、他の人に
その「理想」を押しつけることになってしまえば、あなたのいう「無理をさせる」ことになりませんか?

いくら「理想」があっても1人1人の立場は違うのであって、それぞれの人に合った「数学」で
十分ではないですか?その中から「理想」を追う人たちがでてくることで満足すべきでは?