今日吉祥寺で藤原正彦に遭った。
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0001132人目の素数さん
2006/11/09(木) 23:26:31こちらにチラッと視線を送った。「あ、俺のこと知っているのかな?」
と言う感じ。でも、彼の業績を知っているわけでも無いし、数学には
疎いし、彼の著作を買った訳でも無いから、こっちから声を掛ける
勇気は出なかった。髪は思ったよりあった。因みに同じ通りで
楳図かずおにもよく遭う。
0002132人目の素数さん
2006/11/09(木) 23:38:400003132人目の素数さん
2006/11/09(木) 23:49:480004132人目の素数さん
2006/11/10(金) 00:23:570005132人目の素数さん
2006/11/10(金) 09:00:460006132人目の素数さん
2006/11/11(土) 20:24:280007132人目の素数さん
2006/11/11(土) 23:45:440008132人目の素数さん
2006/11/12(日) 17:34:070009132人目の素数さん
2006/11/13(月) 21:20:470010132人目の素数さん
2006/11/14(火) 18:02:43「遭った」てのは普通災害とか天災とか事故とかに使うのだが
0011132人目の素数さん
2006/11/14(火) 22:18:160012132人目の素数さん
2006/11/14(火) 23:16:23メーンとやって反応を報告してくれ
0013132人目の素数さん
2006/12/01(金) 18:55:290014132人目の素数さん
2006/12/18(月) 13:53:240015132人目の素数さん
2006/12/18(月) 16:23:210016ヘルマン・ワイル ファンs.s. ◆4H8ru750VY
2007/01/02(火) 00:35:560017132人目の素数さん
2007/01/02(火) 10:10:59まあ、数学者でも彼の業績を知っている人は少なかろう。
0018132人目の素数さん
2007/01/02(火) 11:38:48したがって >>1 が見たのは
本物と思われます
0019132人目の素数さん
2007/01/02(火) 12:49:360020132人目の素数さん
2007/01/02(火) 14:52:22業績と呼べる業績の存在すら疑わしいネ
0021132人目の素数さん
2007/01/15(月) 12:33:170022132人目の素数さん
2007/02/05(月) 18:56:540023132人目の素数さん
2007/02/06(火) 14:03:220024132人目の素数さん
2007/03/06(火) 19:51:290025132人目の素数さん
2007/03/06(火) 20:52:13だからどうした
森毅、矢野健太郎、遠山啓、皆そうだ。
0026132人目の素数さん
2007/03/06(火) 20:56:573分後から見た。
0027132人目の素数さん
2007/03/07(水) 01:39:550028132人目の素数さん
2007/03/11(日) 21:32:140029132人目の素数さん
2007/06/03(日) 00:20:40国家観には二種類ある。
ひとつは、国家を、一人ひとりの人間の共存と福祉のための公共財である機械装置と考えるものである。国家は水道や電気や医療や交通網のように、人びとの生存にとってきわめて重要なものだ。
しかし、いかに国家が重要であるとはいえ、それを「愛する」などというのは、水道管や電線をぺろぺろ舐めまわし、女性の靴や下着のにおいを嗅ぐのと同様、変態である。
この第一の国家観からいえば、愛国心はフェテシズムの一種である。国家が愛国心などという変態心性を万人に要求する制度は、日本国装置の性能の悪さとして、国家プライドを大いに傷つけるだろう。
それに対して、国家を一人ひとりの人間の生命を超えた、より高次の崇高なる集合的生命とする国家観がある。このようなリアリティを生きる人びとにとって、国家装置の防衛メンテナンスのための危険業務組織(軍隊)は、集合的生命の男根のように感じられる。
アメリカに負けて憲法九条を押しつけられたのは、「全能感を断念しなさい」と去勢されてしまったような、屈辱の体験である。そして日本は、自由だの人権だの民主主義だの甘ったるい白粉をぺたぺた塗られて、女にされてしまったと、彼らは感じる。
第一の国家観は、人びとの安全と生命を守りながら繁栄をもたらそうとするリアリズム政治のための、基本の基本である。国益の計算や戦略的思考も、この国家観を前提としなければ、何の意味もない。
第二の国家観は、非常時に短期間「だけ」、ひとびとを狂わせるための興奮剤である。必要がないときに使ってはならない。
そして二一世紀の世界でそれが必要になる時は、もうない。いまではこういったドラッグは、貧しい国々で誤用され、悲惨な流血や国土の荒廃をもたらす廃棄すべき毒物でしかない。
0030132人目の素数さん
2007/06/25(月) 12:33:22■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています