なんか、みんなが呆れてるのも分かる気がする。
>’論理的’が必要以上に強調されすぎているのが数学。
フーリエの仕事を見るとよいです

フーリエって、どんな関数でもフーリエ級数展開可能だとか唱えてたんだよ。
それを、数学者たちが、反例を用いて、多くの関数がフーリエ級数展開だと
訂正してあげただけでしょ?これのどこが厳密すぎるの?
 これって、ものすごい違いだけど分かるかな?

あと、Diracの仕事もそうだよ。
R^d上で可積分な関数に対してフーリエ変換は可能なんだけど、可積分
じゃない工学でよく使われるような関数(例えばヘヴィサイド関数)で
フーリエ変換使いたかった物理屋さんがいたの。
 それで、物理屋さんは、
δ(x)=0 (x≠0)で ∫[-∞、∞] δ(x) =1
が成り立つ関数が必要になったといって、それを用いてがんがん計算
するようになったわけ。
でも、普通に考えられている関数では、一点{0}の測度は0だから、
∫[-∞、∞] δ(x) =0
じゃないと、おかしい。
打つの面倒になってきたから詳しく書かないけど、δを普通の関数として
じゃなく、主張していた関数をみたす写像として考え直したんだけど、
それだけじゃ面白くないから、そのような写像の中でいくつかの条件
を満たすようなものを超関数として理論くみ上げてみたってだけジャン。

正直、数学の本読んでも、意味分からん、本質つかめんから、いちゃモン
つけてるようにしか思えない。