>>644
> ちがう。第三者の立場の研究者が、
そうですか。しらなかったです。というかなんでこんな話しになってきたのか
わからないです。もともと興味もない話しでして。疲れがたまっているのかな。

> はぁ?解析学は、記号の有限系列で表現可能ですよ。
そうね、書いたあとでおもいだしましたけど、これも興味のないはなしです。
表現可能となったところでどうなのだという感じです。
前にも言いましたように、基礎論には不案内なのです。なるべく面倒な議論は振らないで
ください。
ゲーデルの仕事はともかくとして数学に対する考え方には共感するのです。それはたとえば、
645へのレスでのゲーデルの引用文などにでてくる考え方です。「常に新たに『直観の源泉』
から汲み上げる必要がある」ですから、ただ形式化した
といわれても「はぁー、そうですか」という感じしか抱けないのです。

>>645
> こういう詭弁を労するのが「広義直観主義」なのかな?
また広義直観主義などと言ういいかたをする。
ゲーデルが最初に不完全性定理の話しをカルナップにはなしたときのことです。
カルナップの日記によると

「数学を形式化しようとすると、それがいかなる形式化であっても、日常言語では理解し表現できるが、形式体系内では表現できない命題が生じる。したがって、ブロウエルが言うように、
数学は汲み尽くせないのであって、常に新たに『直観の源泉』から汲み上げる必要がある。
つまり、全数学のための普遍的な形式化は不可能であって、全数学のための決定手続きもない」

ゲーデルの不完全性定理にインスピレーションを与えたのはブラウアーの講演だったと
いわれています。
>>647
> この「無限小」の「定義」には、穴があります。
歴史は一足跳びに現代になるのではありません。無理数にしても、長い間「有理数でない」
という定義をされてきたことをおわすれなく。