>>46
> ただの三段論法の実例である
?
これほど明瞭に公理の実際の使用法を明示した論証の例を、”ただの実例である”
とおっしゃるのでは、なにももうしあげられません。あなたの頭の構造が
理解不能です。

> 公理が何故正しいかの論証を【諦める】ということです。
それは、アリストテレスがくどいほど言っています。
帰納法によってえられた知識はそれ自体論証の対象にはなりえません。
演繹をすすめるためには、公理が必要なのです。
これは純粋に理論的な数学においても同様です。
議論の途中で、概念のいみが変わってしまう誤謬を避けるために定義もまた
必要なのです。しかも、同一律を強調しているのは途中で定義を勝手に
かえるなという意味なのです。

> 「収束」という概念はほとんどないし重要視されてもいません。
それがどうかしましたか?ニュートンの微積分の内容は後の時代と
何も変わっていないでしょう。のちになって、解析学の算術化という動きは
ありますが、本質的には解析学はなにも変わっていないのです。

> それをNewtonが無能だからと考えてしまうあなたの考え方に驚きます。
”正しいことと間違ったことが合い半ばしている”と書いてあれば、そう書いた
人がニュートンを無能とおもっているとしか考えられないでしょう。

> 後世のCauchyやDirichletやEulerでさえ間違った事を言っているというのに。
いつだって、間違いはあるでしょう。これは数学のいやすべての学問の宿命です。
しかし、ニュートン自体はべつにまちがってはいないです。すくなくとも、
” もうごちゃごちゃになってたはずなんですが”というようなことはなかった
です。