>”任意のε”を ∀εとかに置き換えていくのです。以下略
以下略も何も「任意の」「存在する」を「∀」「∃」に置き換える以外に何かするんですか?
普通の解析の講義だとしないと思うけど。

微積の講義で述語論理から「記号だけ」拝借して「任意の」を
「∀」と略記するのは確か小平邦彦先生が日本で始めたとどっかで読んだ気がする。
これはただの略記法だから授業によっては「∀」を使わないかもしれないけど
別にそれを知らなくたって知ってる学生に比べて論理学を解ってない事にはならないでしょ。

>本気でそんなことをおもっているのですか?
思ってますよ。数学に論理は要らないとは言ってませんよ。
Fregeが影響を与えた数学の分野は無いと言ってるんですよ。
論理関係以外にFregeの影響を受けた分野があります?
ちょっと思いつきませんが。大学初年級の微積とか莫迦な事言わないで下さいね。

あなたはFregeを「任意の」を「∀」に置き換えただけの人と思ってるようですけど
それでは逆に彼の業績を過小評価しています。

>その具体例
極限の概念が定式化されていないのに論理的に正しいわけないでしょう。
だからこそ当時は極限計算に対して反論が為されていたじゃないですか。
具体的に当時は式をどう表記していたかとかは知りません。私は数学史の学者ではないから。
9Cにフワーリズミーが2次方程式を具体的に何通りに分類して解いたかなど知らなくとも
少し知識があれば「彼は現代の目から見れば煩雑な場合分けを用いて二次方程式を解いた」
と言うのは可能ですね。それと同じ。

それからCauchyの時代の解析学は論理的に完成していたとは言っていないですよ。
Weierstrassの時代には多分ほぼ完璧だったんだろうけど。

>>142
この人下手するとEinsteinは哲学者であるとか言い兼ねないからね。