>>118
その苦言を呈した人の趣旨はよく理解できます。
ただなあ、「片手落ち」=「差別語」かどうかは、少し疑問です。

といいますのは、私の友人層のうちの腕の一方の欠損している諸君らとも以前に話題にしたことが
あるのですが、それは「片手落ち」という言葉は「差別語」であろうか?という問題でした。

両腕のある私などは、「片手落ち」=「差別語」だと即断していたのですが、欠損している当事者
たちは、「面と向かって『やーい!片手落ち!』と言ったり、陰で俺達のことを『あいつは片手落
ちだ!』とでもいうように使うのであれば差別語以外のなにものでもないけれど、そういう使い方
でないとすれば、ただの無神経な表現でしかないのじゃないか?」というような見解でした。
ただ、そういう問題点を意識できる層の人々はそういう言葉を使わないにこしたことはないであろ
うということでした。
他の表現で言い換えができない単語や慣用句でもないのだからということでした。
主として「反差別」などの意識や見識は当然ある人々の見解でした。

表現としての「片・・・ (その2)
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(つづき)

さて、昭和50年代には、表現における差別語の問題がマスコミ関係者などを対象に各種の人権団
体によっても大きくとりあげられ、一方ではそれを「差別語狩り」とまで揶揄する諸君すら登場す
るに至りましたが、いずれにしても、そのときの学習や教育効果が現在にどのように生かされてい
るのかは、昨今の出版物やテレビ番組などを見ると首をかしげざるを得ない部分もあります。