普通の数学者は、適当な形式的証明があろうが、なかろうが
どちらでも全く不安ではありません。

「適当な」というのに正確な意味がないけどねw

つーかさ、ある形式体系で証明可能であったとしても、その
形式体系が無矛盾か、どうかは結局、数学者の主観に永遠に
留まるしかない。もちろん、その妥当性を検証し続ける事は
可能だが、いつまで立っても完全に肯定的結論は得られない。
主観的信念が強まるだけだ。そのような事が無意味だ、とは
言わないけど

もっと言えば、当該の「形式的体系の価値」が主観的、相対
的なものに過ぎないから決着は永遠にありえない。あくまで
「一つの試み」だが「こんなもんで十分なんじゃないの」と
言う感想に留まるのみなのだ

リップサービスとして、「初めて」の形式的証明である、と
言うのは良いことだよ。これは政治的価値判断の問題だけど