「意識」とは、巨大な神経系の機能的側面に対する呼び名。
たとえば複雑な呼吸器系というハードの機能的側面が「呼吸」であり、
複雑な消化器系というハードの機能的側面が「消化」であるように。

「呼吸そのもの」とか「消化そのもの」なんてどこにもない。
たとえば「生命」だってそう。「いのちそのもの(魂?)」というのは、その
機能的側面に対する便宜上の呼び名であって、それに対応する実在がどこかにあるわけではない。

「意識」というのは人間の複雑な神経系が実現するある機能に対して便宜的につけられた
呼び名であって、それに対応する実在があるわけではない。一説によると、我々の
「意識」というのは、直立歩行によって巨大化する余地を得た巨大な神経系中枢
(つまり脳)が、その結果スペックを持て余し(かつそれを維持するために一定のデータ
トラフィックが必要なことから)自ら大量のデータを収集し活動させることによって
うまれた副産物だという。確かに、「意識」とか「自我」とかましてや「文化」など
まったく無い時代から人間は人間であったし。そして脳神経系の元々の機能は生命機構の保持
であって、「意識」のような複雑な活動ではないし。

神経系が複雑になればそこに「意識」はあると言っても良い。
インターネットのそれが「意識」に見えないのはそれが「生命的活動」を行わない
から。自己保存、自己複製、循環、などの。
インターネット上に「電子仮想生命」が誕生するのか…と言われればそりゃ不可能で
はないんではないか。つーか自己保存、自己複製、循環、くらいだったら別に難しくも
ないんではないか?あとは、ランダムに進化する可能性だけ残して。

きっかけが自然発生するのを待っていたら天文学的な確率でしか生命は誕生しない
かもしれないが、人為的な手が加われば…。
なんかすでにこっそり「自作生命プログラム」をこっそりネットに流してるやつは
いそうだ。たとえばいたずら目的ではないウィルスって…。