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カラヤン没後のザルツブルク・イースターの件でアバドと揉めた。

カラヤンの死後事務局から「やってくれ」と依頼されたショルティは
「ザルツブルクで初めてのポスト」でもあり意欲を燃やす(ただしクチ約束)。
その後アバドがベルリン・フィル音楽監督に就任。

ショルティがアバドに気を遣って「我々で96年まで分担し
君がその後音楽祭監督になればいい。よければ承認書をあとで送ってくれ」
と提案しアバドも「良い案だし考える」と返答。
しかしそれ以降ショルティが依頼した承認書が送られてくることはおろか
断わりの電話すらなく何知らぬ顔でアバドは音楽祭を続けた。

つまりアバドがショルティをソデにした。

ご承知の通りアバドはショルティ時代のシカゴ響に頻繁に客演し
次期音楽監督とも目されていたからショルティからすると「この恩知らずめが」
だと思う。