アシュケナージを皮相なピアニズムとみるか、
己を消した本質の抽出とみるかで、
世界は2つに分かれる。

前者はアラウのような牧歌的、謡曲的表現にはまってしまい、
魂から外れてしまう。
あの素朴さが心地よく聞こえてしまうが、
バックハウスやギレリスの抽象化表現とは
対極をなすものであることに気付かないといけない。
ベートーヴェンが歌でないことは明白だ。