提示部の繰り返しは必要か?
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0224名無しの笛の踊り
2011/02/20(日) 22:07:09.20ID:v+7yDfrq全く的外れなレス>>206>>207のお陰で>>210のいうように>>205の予言が当たってしまったね。
>たとえそれが慣れた曲であっても、
とわざわざ但し書きを付けているのに、同じ部分を繰り返すこと自体、あるいは知っている曲を聴くこと
が予定調和になると誤読するのは、ソナタ形式の理解以前というか、そもそも日本語の読解力に問題があろう。
ソナタ形式の提示部の構造はここではいわずもがなであるが、
調性からいえば、主調の確立(第1主題部)と属調への移行(第2主題部と小結尾、3度調などの例外はある)ということになる。
この構造は提示部の予定調和といってよいと思うが、「規定路線」と言い換えても良い。
この枠組みの中で行われるのは、いわばある人物の「性格」の提示であって、
曲によって提示部がさまざまであるのは、人の性格がさまざまであるのと同様なのであって、
それは彼が「もって生まれた物」なのであり、その意味で提示部とは「それ以外には無い」世界なのである。
しかし、そこで未だ彼は戯曲的な意味での「行動」を開始していない。
彼が「行動」しなければならない「世界」、その舞台が展開部であり、そこに至った瞬間には
「自由」へと投げ出されたことの「解放」とその裏腹の「不安」とが存在する。
リピート一歩超えたところに、そういった世界が「来た」ことを感得できない聴取者は、
リピートすること「自体」の味わいもリピートを「超え出る」ことの味わいも味わってはいないと断定できる。
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