中島義道が行っていた知り合いの音楽評論家Yって、吉田さんのことなのでしょうか。
われわれがモーツァルトに夢中になるのは「黄色い猿がバラの花に憧れるようなもの」
といって、ヨーロッパ人と対等な立場でものを見たり、対等な関係で彼らの中に入っていくことは諦めていたという記述をよんだのですが。
ちなみに中島氏がウィーンにいたのは70年代終わりから80年代です。
もし、そうだとすると、少し悲しいですね。