なぜ女声のことを書いたかと言うと、初めてマタイを聞いたのはリヒター盤で、
冒頭第1曲で二重合唱の切迫したやりとりの中、少年合唱のコラールが現れた時に
衝撃的な印象を受けた、という原体験があったからです。

マタイはトーマス教会で初演されている。
バッハもトーマス教会での演奏を前提にして作曲したのだと思う。
教会で女声を使わない慣習だとすると、
二重合唱のやりとりの時点で少年合唱がソプラノパートを歌うことになるので
コラールが現れるところの効果はかなり減殺されるのではないか、

言い方を換えると、少年合唱が現れるところでの効果を期待するのは
「正しい」聞き方ではない、となってしまうのか、という疑問があったからです。
>>289 の言う「正しい古楽演奏のスタイル」では、この点はどう解釈されるのでしょうか?