精神性 Part3
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0001kyrie@鬱病 ◆.RYdSpBfEI
2008/10/11(土) 21:41:53ID:iVL795iZ前スレ
精神性 Part2
http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/classical/1217839580/l50
0002名無しの笛の踊り
2008/10/11(土) 21:45:33ID:lauoh7aB0003精神状態鬱
2008/10/11(土) 21:54:48ID:i/3v8uXU自己とは何であるか?自己とは自己自身に関係するところの関係である、
すなわち関係ということには関係が自己自身に関係するものなることが
含まれている/キルケゴール『死に至る病』冒頭
0004kyrie@鬱病 ◆.RYdSpBfEI
2008/10/12(日) 17:20:23ID:tTsZatNp0005kyrie@鬱病 ◆.RYdSpBfEI
2008/10/13(月) 08:03:08ID:pB1Row7U0006名無しの笛の踊り
2008/10/14(火) 13:46:59ID:epqVq7vf0007名無しの笛の踊り
2008/10/15(水) 17:14:47ID:opQOeZW80008名無しの笛の踊り
2008/10/15(水) 17:26:02ID:KIHd+CL40009名無しの笛の踊り
2008/10/16(木) 07:31:52ID:sjYyFJjE大衆性、通俗性といえよう。
カラヤンの音楽を想起すればよいのだ。
0010kyrie@鬱病 ◆.RYdSpBfEI
2008/10/17(金) 16:50:51ID:rS61MM8K実を言うと、ニューロンとは、そこに一つの意味が宿っているのではない。ニューロンが表現すべきは、関係性であり、色のついた関係性である。
領野によって異なる機能とは、この色に由来する。ニューロンの隣接の必然性は、それが定意味でなく、自由にシナプスを結べるよう、
まさに関係性―どんな不可能な関係性もその純粋さにおいては見出せないのだから―であり、シナプスとは更新可能な情報の肉化である。
ある定式が、複数のニューロンを経由する、とする。記述される関係性は、数もたかが知れているので、そう多くのニューロンを使う必要はない。
ただその機能的領野、その機能が割り振られるのは、同一の思考が複数生成するのを避けるため、である。
ニューロンは過剰に質を持っており、ある関係がその用いた色によって理解される。この色のあることは、
脳が延長であることとある面では同義である。すなわち、それは
関係を空間的に広げず、色によって記述することで思惟が可能になる、という面である。
最近の俺のレポートから。これを音楽にもいずれは応用したい。反論待ってます。
0011名無しの笛の踊り
2008/10/17(金) 17:11:38ID:aDegeSmd精神性なんて退屈。
0012名無しの笛の踊り
2008/10/17(金) 17:13:50ID:uF8JrxSnリンゴも木から落ちる
0013kyrie@鬱病 ◆.RYdSpBfEI
2008/10/19(日) 18:34:19ID:zXFF0E3b>>11
通俗性ってなんですかね?
カラヤンがそうだと言われてるけど、派手だとイコール大衆性になるんですかね?
美しい演奏という評判は、クレンペラーでもカラヤンでも得られているけど、両者の持つ美学の差は
歴然。前者が精神的、後者が大衆的と言われる所以は。
0014名無しの笛の踊り
2008/10/21(火) 07:35:27ID:VGP9qxeh彡≡≡ミ
ω□-□ω
( 皿 )<それっ!ぼくの精神性を喰らえといえよう。ハアハア
人 Y / シコシコ
( ヽつ゜〜〜〜〜○ 〜〜〜〜○ 〜〜〜〜○ 〜〜〜〜○ ドピュッ ドピュッ ドピュッ ドピュッ
(_ω_)
0015名無しの笛の踊り
2008/10/21(火) 10:33:17ID:xWKIMzE218世紀のドイツでのことです。
当時は「精神性」という言葉が
文化全般を語るタームとして大流行しました。
「時代の言葉」だったと言っていいでしょう。
0016名無しの笛の踊り
2008/10/21(火) 11:25:36ID:iJEAjELpコテハンくんも幅広い視点をもちましょう
0017名無しの笛の踊り
2008/10/21(火) 16:58:51ID:b6lgp99T従って、何ぞ精神性のない音楽が考えられよう。精神性の低い(通俗性の低い)音楽は淘汰される。
カラヤンがよい例。
0018名無しの笛の踊り
2008/10/22(水) 00:40:26ID:0pfUW/7nほとんどが踊りのための音楽だったバロックはいわば「肉体の音楽」といっていい。
古典派を経てロマン派に至り音楽において「精神」が重要な位置を占めるようになった。
ベートーヴェンの「闘争から勝利へ」とか「闇から光へ」という理念は
まさに「精神の音楽」の萌芽だといえる。
これはたしかに当時のヨーロッパを席巻した
人間が神へ至る道としての精神主義の影響の下に芽生えたものなのだろう。
0020kyrie@鬱病 ◆.RYdSpBfEI
2008/10/22(水) 20:03:28ID:X5lLQ4xikwsk
>>17
音楽を書くのは、脳だと思ってます。
「脳が存在するのか」という問いは、その問が有効な時、すなわち未だ脳が存在しないとき、
脳のかわりになるものを準備していないがゆえに否定されます。
これはメルロ=ポンティが「見えるものと見えざるもの」で語ったことの応用です。
>>18
確かに。でも今でも、光から闇へ、という理念は絶えませんね、ノーノもシュトックハウゼンも西村朗もそう。
シュニトケやペンデレツキやサーリアホの解決なき暗さはそのアンチテーゼと言ってもいい
0021名無しの笛の踊り
2008/10/22(水) 20:54:40ID:ZUsduxVU詳しく説明すると大変なことになります。
とりあえずヘーゲルについて
勉強してみられるといいでしょう。
0023名無しの笛の踊り
2008/10/22(水) 21:26:59ID:xkg7GsmR不可知論者でないことは確かだろう
0024kyrie@鬱病 ◆.RYdSpBfEI
2008/10/22(水) 22:54:07ID:X5lLQ4xi逃げましたね
>>22
あんな廃人と一緒にしないでください。
私は大学院で哲学を勉強するつもりで今頑張っています。
ぴかぁのようなニートにはなりません。
0025名無しの笛の踊り
2008/10/22(水) 23:37:46ID:ZUsduxVUkwskのひとことにわざわざ馬鹿丁寧に教えて差し上げる
義理も暇もありませんので。
調べればわかることに労を惜しむ人には
それなりの対応をさせて頂きます。
「精神」という言葉に当時の人々は
現代の我々とはかなり異なった意味を抱いていたということです。
当然当時の作曲家、演奏家、批評家理論家も例外ではありません。
ヘーゲルだけでなく、ヘルダーやディルタイらも合わせてどうぞ。
0026名無しの笛の踊り
2008/10/22(水) 23:39:24ID:xkg7GsmR唯物弁証法を言ったのは俺だ。
音楽史、演奏史の発展に時代の制約やアウフヘーベンが働いていることをよく見る必要がある。
例えばブラームス。一見、古臭い音楽なのだが、単なる古典派を踏襲してるのではなく、
否定の否定が働いている。
そこはシェーンベルクが見抜いたブラームスの革新性を見たらよい。
0027名無しの笛の踊り
2008/10/22(水) 23:48:29ID:xkg7GsmRそこでとどまるか、よりふみこんで、発展的な精神をもてるか、
そこに唯物弁証法の見方の重要性がある。
益田さんの話に、どういう哲学があるか、よく読見直して考えたらいいよ。
真理をすぐれた作品に置き換えるとよい。
すぐれた作品というのは必然性があるのである
0028名無しの笛の踊り
2008/10/22(水) 23:58:25ID:xkg7GsmRベートーヴェンの音楽に深い精神性が宿るのは、当時の社会体制の変化がある
貴族を喜ばす音楽か、民衆のための音楽か、そこに分岐点がある。
もちろん貴族を喜ばす音楽に名曲があることは否定しない
またバッハ、ハイドン、モーツァルトなどの音楽も、単なる貴族の娯楽にとどまらない、
先見性を持ち合わせている。
モーツァルトはフリーメイソンの思想も影響があろう。
自由・平等・博愛、これらは精神が先にくるのではなく、社会体制が欲していたのである。
0029名無しの笛の踊り
2008/10/23(木) 00:52:04ID:oRQElHj+決して時代背景や文化のサポートを受けたものではない。
精神とは「敢闘精神」「スポーツマン精神」といった言葉に見られるように、
人間性本体、つまり思想や哲学により、人間が特定の方向付けをすること、
またその結果生まれた製作物。つまり芸術・芸術作品。
絵画や彫刻・文学・哲学書のことであって、本体は精神性・人間性。文字と視覚からなる。
これらは時代や地域、文化や言語、歴史の上にしか成立しえない。
価値や評価は時代によって変化し、相対的なものである。
バッハ・ベートーヴェン・ショパン(マラ・ブルもかな?)の音楽はこうした精神性、言い換えれば芸術・人工物ではない。
自然界に存在する自然法則に則った人間の感情を抽象化したもの。
絶対的なものであり、時代や地域が変わってもその価値は不変。
宇宙や自然現象と同じように、人の手で作りかえたり、余計な思想を入れることはできない
人間の手の届かない所に存在する自然の抽象化表現である。
0030名無しの笛の踊り
2008/10/23(木) 01:17:05ID:ErUQf1FO愚
0031名無しの笛の踊り
2008/10/23(木) 07:14:53ID:OWitpqAF第9は?
0032名無しの笛の踊り
2008/10/24(金) 07:48:52ID:nFQo1OVq465 :名無しの笛の踊り:2008/10/23(木) 19:26:07 ID:r66PlE5y
最近耳にした中でもっともひどいチャイコフスキーだ。
なぜこれを世に問う意義があるのか理解に苦しむ。
466 :名無しの笛の踊り:2008/10/23(木) 23:16:17 ID:pxqlHsrw
>>465
チャイコフスキーなんて精神性の低い作曲家を聴くから
そういうひどい目に遭うんだよ。ボクはチャイコなんか
聴かないよ。チャイコはホモだったからピアノは巧くて
今でも名前のついたピアノコンクールがあるのは知ってるよね。
日本のカレールーのメーカーがスポンサーになって、審査員を
送り込んだりしてるんだよ。チャイコで有名な曲は交響曲の
6番だけど、実はベートーベンのピアノソナタのパクリなんだよ。
他にもスクリャービンっていう頭のいかれた人がパクっている
らしいけどよく知らない。
チャイコなんか聴いていると耳が腐るよ。ロシアの作曲家なら
タコに限るよ。タコは精神性がすごく高いよ。
0033kyrie@鬱病 ◆.RYdSpBfEI
2008/10/24(金) 15:48:13ID:VIM6Js4mヘーゲルだけは、ドレイファスやジャン=リュック・ナンシーを読む俺でも
食わず嫌いしてるんだよなぁ…
どうしても古典を読もうという気が起きない。
ただ、メルロ=ポンティにもナンシーにも弁証法は大切な概念だから、
いつかは読まないと…と思ってる。
>>26
否定の否定のそのまた否定の否定かもしれない…ブラームスは何度己を反省したのだろう。
何回否定が働いたかなんて、我々には分からないではありませんか?
>>29
神秘主義的。でもって理想主義的。人間の感情を抽象する仕方が問われない限り、説得力無い。
でも無理に人間の精神と感情を別々に相反的に定義する試みは面白いとおもた。
0034名無しの笛の踊り
2008/10/24(金) 16:32:02ID:F/OH7rB9残念
0035名無しの笛の踊り
2008/10/25(土) 06:14:06ID:/Xmx5fUz作曲時の背景や文化、個人の人間性・精神性とは何ら関係がない。
一方、精神性音楽は音を出す必要はない。言い換えれば、無音でも精神性を伝える演奏行為になる。
現代音楽は精神性の音楽、つまり肉体性が消滅した音楽だから、頭だけで演奏可能。
>神秘主義的。でもって理想主義的。人間の感情を抽象する仕方が問われない限り、説得力無い。
宇宙や波動の現象を抽象化したのが物理学。分子の観点から物質を抽象化したのが化学。
それと同じように、人間の感情を抽象化したのが古典音楽。
物理学者や化学者の精神性や時代背景を理解する必要など全くないように、古典音楽に精神性は存在しない。
和声などは、科学でいう所の原理・定理にあたる。しかし、どんなに抽象化表現を駆使したところで、
人間の力では所詮、自然のほんの一部しか表現できない。
画家や宗教家や社長、哲学者や政治家には精神性が必要となる。
それを受け取る人がスゴイと思うこと、また思い込むことによって成立する。
その最高峰がローマ法王や天皇。それぞれヨーロッパ・キリスト教の歴史や
日本の歴史・文化を体得したものしか理解できない。
逆に聖書の中身などはどうでもよい。精神性は抽象化できない。個々の人間・時代・文化に帰属する。
精神性は思い込みのことだから、非精神性の土台が崩れると、コロコロかわる。
古典音楽は楽譜が大事。その定式化された抽象化表現で感情を表現できるかどうかが全て。
ベートーヴェンの精神性が高いか低いかなんて何の意味もない。おそらく相当低かったと想像される。
0036名無しの笛の踊り
2008/10/25(土) 09:34:52ID:9JfavNXhつまり楽譜にしるされてるよ。
音楽の内容の深さとかそういったものは。
0038名無しの笛の踊り
2008/10/26(日) 06:20:37ID:Wq+yJa770039名無しの笛の踊り
2008/10/26(日) 07:18:35ID:s/ZdzKrb>つまり楽譜にしるされてるよ。
>音楽の内容の深さとかそういったものは。
古典音楽の価値はどれだけ強く胸を打つか、要するにどれだけ効く薬なのかだけで判断される。
薬を飲むとき、「この薬を飲めば治りますよ」と「こんなの飲んでも意味ないよ」
では、効き方が変わる。つまりギヤク効果。これが精神性。音楽本体ではない。
ベートーヴェンの音楽だから、精神性が高いですよ。
貴族に愛されたモーツアルトの曲だから、格調高いですよ、いや高いはずだ、いや高くなければいけない、というのが精神性。
そうではなくて、余計な先入観なく、楽譜だけから自分の感じた通り弾くのが古典音楽。薬効成分をいかに引き出すか、これが音楽性。
絵画における精神性は絵画が発する光だけでは規定されない。ダビンチが書いたのか、北斎が書いたのか、素人が書いたのかで
精神性は変化する。ヨーロッパ文化なくしてヨーロッパ絵画は意味なし。
精神性音楽における精神性も、楽譜だけからは規定されない。キリスト教宗教音楽なのか、映画のサントラなのか、CMソングなのかで意味は違う。
しかし、古典音楽・絶対音楽の音楽性は完全にそれらと独立。人間・人類に共通する感情は絶対的なものであり、いかに無駄な音なく感情の本質だけを
定式化できるか、それがバッハ・ベートーヴェン・ショパンなどの抽象化表現。何気ない個人や特定文化・歴史の精神性からくる音は全てをダメにする。
古典音楽の作曲行為は絵画などと違い、芸術的な個人の創作や創造ではなく、自然法則の発見や発明である。
0040kyrie@鬱病 ◆.RYdSpBfEI
2008/10/26(日) 16:03:51ID:RBaGxK13>宇宙や波動の現象を抽象化したのが物理学。分子の観点から物質を抽象化したのが化学。
それと同じように、人間の感情を抽象化したのが古典音楽。
物理学者や化学者の精神性や時代背景を理解する必要など全くないように、古典音楽に精神性は存在しない。
和声などは、科学でいう所の原理・定理にあたる。しかし、どんなに抽象化表現を駆使したところで、
人間の力では所詮、自然のほんの一部しか表現できない。
感情と精神性は別なんですね、わかります。
また和声が音楽から抽出可能、というのなら分かりますが、感情を抽象化する、というのは、SFであると思いますよ。
そのプロセスが永遠に謎なままなのですから。
感情の定義が非常に曖昧で、困ってしまいます。
>画家や宗教家や社長、哲学者や政治家には精神性が必要となる。
それを受け取る人がスゴイと思うこと、また思い込むことによって成立する。
その最高峰がローマ法王や天皇。それぞれヨーロッパ・キリスト教の歴史や
日本の歴史・文化を体得したものしか理解できない。
逆に聖書の中身などはどうでもよい。精神性は抽象化できない。個々の人間・時代・文化に帰属する。
精神性は思い込みですか、これはなかなか面白い。ですが精神性が人間などに属するのなら、どうして抽象化が
不可能なんですか?貴方の言う抽象化可能・不可能の境界を示してください。
0041名無しの笛の踊り
2008/10/27(月) 01:50:57ID:SiHv83fW「精神性」って言葉はドイツ音楽専用。
もともとベートーヴェン以降のドイツで流行した考え方だから。
踊りのための肉体の音楽だったバロックから
感情表現を取り入れるロマン派への転換点にあたって
ヘーゲルのgeistという概念を利用して説明しようとした。
これと同様の動きは音楽に限らず芸術から民族運動まで幅広く見られた。
576 :名無しの笛の踊り:2008/08/27(水) 01:19:44 ID:jXdsbPx5
ソナタ形式のふたつの主題の展開→帰結を弁証法的に説明したのでしたね。相反するものを止揚するのだと。だからドイツではソナタ形式が、また交響曲が至上の価値を有していました。
そうした主張はシューマンやフルトベングラーなどの文章にも見られます。
577 :名無しの笛の踊り:2008/08/27(水) 01:27:14 ID:/4y2wzPD
そうそう。
だから激しい「葛藤」が感じられないと「精神的」とは言われないわけ。
「葛藤」だから当然「内面的」となる。
当然だけど19世紀のドイツ文学の価値観と同じ。
0042名無しの笛の踊り
2008/10/27(月) 02:00:40ID:SiHv83fW>>579
交響曲とは音楽における「精神の自己展開」である、とする立場からは、
「交響曲である」ことそれ自体で「ドイツ的」だとされる。
だから、交響曲作曲家であるマーラーの音楽もドイツ音楽ということになる。
ま、今日このような図式的な解釈をする人間はまずいないけどね。
曼荼羅交響曲もドイツ音楽なんだね?
585 :名無しの笛の踊り:2008/08/27(水) 15:02:31 ID:8ggoB5Az
弁証法はともかく、精神というのがヘーゲルのGeistに由来するとすれば
その精神とは、個人の意志や感情、苦悩ではなく神そのものになるよね?
だったら、マーラーはドイツ音楽じゃなくなるでしょ
0043名無しの笛の踊り
2008/10/27(月) 02:02:14ID:SiHv83fW>>583
>じゃ、曼荼羅交響曲もドイツ音楽なんだね?
その理屈から行くと、すっごく強引だけど、そうなるかもね。
(ただし、曼荼羅交響曲がソナタ形式をとっているならば、の話だけど。)
でも、どう考えてもそれはおかしいでしょ?
そもそもヘーゲル流の本質主義的な美学の図式を音楽作品や音楽史にあてはめるのは、
「当時そういう見方が流行しました」程度のものでしかないんだろう。
でも逆に言うと、その程度のものでしかない「交響曲」という冠を、
「曼荼羅〜」とか「トゥーランガリラ〜」とか、なぜ今でも付けるんだろうとは思う。
19世紀的な交響曲の理念を信奉している訳じゃないだろうに。
「信奉」とまでは行かなくても、「賭け」てはいるのかな。
で、マーラー(とくに第9)はその辺どうなのか、よくわからん。
588 :名無しの笛の踊り:2008/08/27(水) 20:41:45 ID:/4y2wzPD
>>585
まず今ここで話題になっているのは
ドイツロマン主義の諸潮流のうちのひとつについてであって
それをドイツ音楽全体と取り違えてもらっては困る。
次にヘーゲルの史観は人類史を
最終的に完全なるものへ到達するための苦闘の過程ととらえるのであって
すでに神そのものになっているという認識ではない。
でなければそもそも「テーゼとアンチテーゼ」という概念が
生じるはずがないではないか。
最後にマーラーはドイツロマン主義からの膨張逸脱によって
その概念の解体へと導いた人物である。
0044名無しの笛の踊り
2008/10/27(月) 02:49:19ID:H2k27Oxm音を出すことにより、同じ心の反応を引き起こすことができる。
例えば人間が熱情を感じる場面は具体的なものであり、かつ無数にあるが、音楽ではこれを一般化・抽象化、定式化することができる。
精神性は、人間性。宗教性と言ってもよい。宗教は一見絶対性があるように見えるが、人工物だから英語・日本語と同じように
相対的なものであり、世界共通語がありえないのと同様、世界共通宗教もありえない。
キリスト教にしろイスラム教にしろ仏教にしろ、教義は違う。他人を敬いなさい、にしてもその中身に絶対性はない。
これらは思想・哲学と呼ばれるものであり、文化・歴史という時間経過のもとで育まれる。精神性は善悪の機軸。
精神性は言語や視覚の力を利用して高めることができる。特定の方向性で思想・概念を先鋭化させることで
肉体性をそぎ落とし、より高い人間性を獲得していく。
日本語で思い出してみればよい。
「和の精神」は存在しても、「和の感情」は存在しない。特定共同体が育てた思想・哲学が精神性。
精神は人間自らが作り出すもの。哲学であり、経典であり、絵画であり、彫刻。
感情は自ら作り出すことはできない。「感」の文字通り、センサーのこと。
センサーの性能が音楽性であり、得意な音楽は個々によって違う。
間違ってはいけないのは、この個々の違いは音楽性の違いであって、
精神性の違いではない。個々の音楽・音楽性は干渉しない。
感情をもつ人間として、モーツアルトとベートーヴェンは両方得意でも、両方苦手でもよい。
一方、精神性の違い、すなわち思想・哲学の違いは共存できない。歴史の流れで変化するもの。
理念概念・主義・テーゼ・アンチテーゼといった精神性の道具は、絶対音楽には存在しない。
0045名無しの笛の踊り
2008/10/27(月) 02:54:16ID:CUyOsweZ0046名無しの笛の踊り
2008/10/27(月) 03:05:01ID:CUyOsweZ精神性と宗教性をごっちゃにしちゃ駄目っしょ
0047名無しの笛の踊り
2008/10/27(月) 17:50:33ID:ZRkBEUwI下は2ちゃん評論住民wまで、「聴き専」の人々なんですよね。
それに対して、我々演奏家に言わせて頂ければ、
1にテクニック2にテクニック3、4がなくて5がテクニック
といった所でありまして、「精神性」などはテクニックの後から貨車で来るような
ものですよ。
ヴァイオリンレイトの会 会員より
0048kyrie@鬱病 ◆.RYdSpBfEI
2008/10/27(月) 18:16:57ID:VlvVwC5I音を出すことにより、同じ心の反応を引き起こすことができる。
例えば人間が熱情を感じる場面は具体的なものであり、かつ無数にあるが、音楽ではこれを一般化・抽象化、定式化することができる。
なるほど、感情を定義しているね。反射と感情とが違うことが明記されている。
だけど音を出すことにより?同じ反応?それはなんの根拠もないよ。
どうして、感情と音とが互換するのか、人間の特定の経験が、全感覚を駆使するとすれば、
どうして聴覚だけで同じ心の反応を起こすことが可能なのか、全然ダメ。
>精神性は、人間性。宗教性と言ってもよい。宗教は一見絶対性があるように見えるが、人工物だから英語・日本語と同じように
相対的なものであり、世界共通語がありえないのと同様、世界共通宗教もありえない。
あらら、飛び火しちゃった。。宗教が人工物だというのは、貴方の想像でしかないよね。
>精神は人間自らが作り出すもの。哲学であり、経典であり、絵画であり、彫刻。
感情は自ら作り出すことはできない。「感」の文字通り、センサーのこと。
センサーの性能が音楽性であり、得意な音楽は個々によって違う。
間違ってはいけないのは、この個々の違いは音楽性の違いであって、
精神性の違いではない。個々の音楽・音楽性は干渉しない。
感の文字通り…あまり日本語の起源に頼らない方がいいよ。ギリシャ語に根源をみたハイデガーすら危ういのに。
感情は引き起こされるのに対して精神性は作り出すもの、か。で、なんで感情=センサーが音楽性になるの?
音楽は感情的で、その他の芸術が精神的というその根拠は?
0049名無しの笛の踊り
2008/10/27(月) 19:19:18ID:39IlQg6r/ ー\ ナンミョ ウ ホウレンゲッキョウナンミョウホウレンゲッ キョウナンミョウホウレンゲッキョウ
/ノ (@)\ ナンミョウ ハ レンゲ ッキョウナンミョウホウレンゲッキョウナンミョウホウレンゲッキ
.| (@) ⌒)\ ナ ンミョウホウレ ンゲッ キョ ウ ナンミョウホウレンゲッキョウナンミョウホウレンゲッ
.| (__ノ ̄| | ///;ト, ナンミョウ ホウレ ンゲッキョウナ ン ミョウホウレンゲッキョウナンミョ
\ |_/ / ////゙l゙l; ナンミョウ ホウ レン ゲッ キョ ウナンミョウホウレンゲッキョウナンミョ
\ _ノ l .i .! | ナンミョウ ホウレンゲッキョ ウナン ミョウ ホウレンゲッキョウナンミョ
/´ `\ │ | .| ナンミョ ウホウレンゲッキョ ウナン ミョウ ホ ウレンゲッキョウナンミョ
| | { .ノ.ノ ナ ンミョウホウレンゲッ キョウナ ンミョウホ ウレンゲッキョウナンミョ
| |../ / . ナンミョウホウレンゲッキョウナンミョウホウレ ンゲッキョウナンミョウ
0050名無しの笛の踊り
2008/10/28(火) 01:25:57ID:03IxPNWc音楽性のような非精神性の真か偽かではなく、道徳が絡む善か悪かの世界。
人間個人の精神性は環境と経験によって形作られ、言語を失わない限り、属する
共同体から自由であることは不可能。
精神性は人間だけに存在し、他の生物には存在しない。他の生物は文
化を積み上げることはしないし、またできもしない。芸術は人間だけのもの。
音楽性は他の生物にもおそらく存在するであろうと考えられる。しかも人間より
正確に伝えることができるものと思われる。人間では精神性が大きくなりすぎ、
音楽性の阻害要因になってしまう。もしこの先人間からさらなる進化がある
とすれば、ほとんど精神性からなる生物であり、この時音楽は消滅しているはず。
この進化がない限りにおいては音楽は不滅であり、哲学書が忘れ去られ、キリス
ト教が形骸化し、絵画の名作が無視されるようになっても、ベートーヴェンなど
の古典音楽の傑作は永遠に傑作のままである。
精神性は、非精神性の土台があって初めて規定される。
また精神性は時間を越えて伝えることが可能である。文字であり、像であり、絵画であり、建築物。伝統というやつ。
文字や視覚として保存される。伝統芸能は、師からその精神性を受け継ぐことで、変化しながら伝言されていく。
古典音楽は精神性を伝える伝統芸能ではなく、そのスコアは数学・物理における公式集のようなもの。
完全に作曲者の精神性とは隔離した、自然法則の抽象化表現。
音楽や抽象化した感情は保存することはできない。絶対的な時間の中で湧き上がり、その瞬間に消滅する。
古典音楽は絶対的時間、テンポの中にしか存在できない。
精神性をCDに入れることはできても、音楽性・人間の感情を保存することはできない。
また言葉で伝えることもできないもの。人間は他人の悲しみを味わうことはできない。音楽だけが、その中身を直接伝える。
0051名無しの笛の踊り
2008/10/28(火) 22:45:20ID:jFV0C7/Sそんなことはないだろう
0052名無しの笛の踊り
2008/10/28(火) 22:59:44ID:PKP+EThh演奏についてはなにをもって精神性というのかはあいまいだし微妙。
0053kyrie@鬱病 ◆.RYdSpBfEI
2008/11/07(金) 16:17:58ID:toQc8Rk+人間個人の精神性は環境と経験によって形作られ、言語を失わない限り、属する
共同体から自由であることは不可能。
なぜ精神性と呼ぶ必要があるのです?単に「意識」といえばいいのに。精神性ならではの定義が曖昧ですね。
>音楽性は他の生物にもおそらく存在するであろうと考えられる。しかも人間より
正確に伝えることができるものと思われる。人間では精神性が大きくなりすぎ、
音楽性の阻害要因になってしまう。もしこの先人間からさらなる進化がある
とすれば、ほとんど精神性からなる生物であり、この時音楽は消滅しているはず。
上の定義からすると、貴方は人間の意識が広範であるから、その意識性によって、純粋な音のみを捉える事が難しい、
と考える。そして進化とは、単純に純粋な音を疎外し、意識の領野を広げることだ、ということですね。
しかし音は意識の疎外とはなりません。貴方も述べているように、意識が音楽の疎外になるのであって。
するとこれは矛盾ですよね。
0054名無しの名はミミ
2008/11/07(金) 17:12:33ID:SMUbmv9Zでも、所詮机上の空論に過ぎない。
フィールドワークしてる?本ばかり読む、もしくはパソコンで検索しても駄目。知識ばかり頭に詰め込んでも、実戦的じゃないね。
人間は何も発明など出来ない。発見しているに過ぎない。
俺は人間をヤメタァー。
無駄無駄無駄ぁー!
0055名無しの笛の踊り
2008/11/07(金) 20:48:06ID:qf/9fYFXピアノの巨匠-スビャトスラフ・リヒテル氏。
この人のショパン-ポロネーズ4番は、何時聞いても涙がでます。
精神性の極致を描くリヒテルの芸術は、ただひたすらに感謝と畏敬の重なり。
彼のような深遠なる人間が、この世に誕生していたことが素晴らしい。
0056名無しの笛の踊り
2008/11/09(日) 15:38:07ID:ixM42wex0057名無しの笛の踊り
2008/11/10(月) 23:44:15ID:bJIjKbd3意識は、自らの行動や心の状態を認識すること、又は認識している状態のこと。
確かに音楽は無意識の部分が大きいが、精神が意識からなっているわけではない
。精神性は人間性・人格と言ってよいもので、これらも無意識なものが大きい。
日本人の精神・精神性も自らが認識しないうちに形成され、認識しないうちに芸
術で表現されていく。
問題は、音楽をこうした点から解釈してしまうこと。
音楽はあくまで音楽から、感情から得るものであって、精神性を使ってしまうと
感情の抽象性がなくなってしまう。個人的になってしまう。
特定の文化だけの音楽になる。民謡などがこれにあたる。
「助け合いの精神」に見られるように、人間性としてその共同体が方向付けをし
て獲得するのが精神。その内容は漠然とした言語によって規定されるものであり、
絶対性はない。何が助け合いなのかは各文化で異なる。また時代によっても変化する。
肉体性・非精神性に基づいたその社会が育んだ文化の元で精神性は規定さ
れる。しかし、その哲学もやはり、自らの物差しでは認識できない無意識の要素が非常に強
い。
0058名無しの笛の踊り
2008/11/15(土) 17:01:04ID:wAcN9Z7X0059名無しの笛の踊り
2008/11/28(金) 15:23:30ID:fLg8SowZ0060名無しの笛の踊り
2008/12/14(日) 08:54:43ID:yuyCN5xx0061名無しの笛の踊り
2008/12/14(日) 11:55:02ID:coNZKjVFプッチーニ「ラボエム」
0062名無しの笛の踊り
2008/12/14(日) 14:08:45ID:eIUykQSx「精神性」
たかが音楽ごときに。
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