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精神性 Part3

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0001kyrie@鬱病 ◆.RYdSpBfEI 2008/10/11(土) 21:41:53ID:iVL795iZ
大いに妄想を繰り広げてください

前スレ

精神性 Part2
http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/classical/1217839580/l50

0002名無しの笛の踊り2008/10/11(土) 21:45:33ID:lauoh7aB
不覚にもワロタww
0003精神状態鬱2008/10/11(土) 21:54:48ID:i/3v8uXU
人間とは精神である。精神とは何であるか?精神とは自己である。
自己とは何であるか?自己とは自己自身に関係するところの関係である、
すなわち関係ということには関係が自己自身に関係するものなることが
含まれている/キルケゴール『死に至る病』冒頭
0004kyrie@鬱病 ◆.RYdSpBfEI 2008/10/12(日) 17:20:23ID:tTsZatNp
キルケゴールとはまた古い
0005kyrie@鬱病 ◆.RYdSpBfEI 2008/10/13(月) 08:03:08ID:pB1Row7U
前スレは11レスで落ちちゃいました。初代スレは1000までいったのに。
0006名無しの笛の踊り2008/10/14(火) 13:46:59ID:epqVq7vf
すばらしい名スレだ。精神性満点といえよう。
0007名無しの笛の踊り2008/10/15(水) 17:14:47ID:opQOeZW8
精神性の対立概念とは何か? 
0008名無しの笛の踊り2008/10/15(水) 17:26:02ID:KIHd+CL4
肉体性
0009名無しの笛の踊り2008/10/16(木) 07:31:52ID:sjYyFJjE
>>7

大衆性、通俗性といえよう。

カラヤンの音楽を想起すればよいのだ。
0010kyrie@鬱病 ◆.RYdSpBfEI 2008/10/17(金) 16:50:51ID:rS61MM8K
私は形而上学的実在論の立場をとっています。

実を言うと、ニューロンとは、そこに一つの意味が宿っているのではない。ニューロンが表現すべきは、関係性であり、色のついた関係性である。
領野によって異なる機能とは、この色に由来する。ニューロンの隣接の必然性は、それが定意味でなく、自由にシナプスを結べるよう、
まさに関係性―どんな不可能な関係性もその純粋さにおいては見出せないのだから―であり、シナプスとは更新可能な情報の肉化である。
ある定式が、複数のニューロンを経由する、とする。記述される関係性は、数もたかが知れているので、そう多くのニューロンを使う必要はない。
ただその機能的領野、その機能が割り振られるのは、同一の思考が複数生成するのを避けるため、である。
ニューロンは過剰に質を持っており、ある関係がその用いた色によって理解される。この色のあることは、
脳が延長であることとある面では同義である。すなわち、それは
関係を空間的に広げず、色によって記述することで思惟が可能になる、という面である。

最近の俺のレポートから。これを音楽にもいずれは応用したい。反論待ってます。
0011名無しの笛の踊り2008/10/17(金) 17:11:38ID:aDegeSmd
大衆性、通俗性最高。

精神性なんて退屈。
0012名無しの笛の踊り2008/10/17(金) 17:13:50ID:uF8JrxSn
ニューロンの法則

リンゴも木から落ちる
0013kyrie@鬱病 ◆.RYdSpBfEI 2008/10/19(日) 18:34:19ID:zXFF0E3b
昔のような活気ある議論を…求。

>>11

通俗性ってなんですかね?
カラヤンがそうだと言われてるけど、派手だとイコール大衆性になるんですかね?
美しい演奏という評判は、クレンペラーでもカラヤンでも得られているけど、両者の持つ美学の差は
歴然。前者が精神的、後者が大衆的と言われる所以は。

0014名無しの笛の踊り2008/10/21(火) 07:35:27ID:VGP9qxeh

彡≡≡ミ 
ω□-□ω
( 皿 )<それっ!ぼくの精神性を喰らえといえよう。ハアハア
人 Y / シコシコ
( ヽつ゜〜〜〜〜○ 〜〜〜〜○ 〜〜〜〜○ 〜〜〜〜○ ドピュッ ドピュッ ドピュッ ドピュッ
(_ω_)
0015名無しの笛の踊り2008/10/21(火) 10:33:17ID:xWKIMzE2
音楽が「精神性」という概念で語られるようになったのは
18世紀のドイツでのことです。
当時は「精神性」という言葉が
文化全般を語るタームとして大流行しました。
「時代の言葉」だったと言っていいでしょう。
0016名無しの笛の踊り2008/10/21(火) 11:25:36ID:iJEAjELp
今年のノーベル物理学賞において、唯物弁証法の正しさが実証されました。
コテハンくんも幅広い視点をもちましょう
0017名無しの笛の踊り2008/10/21(火) 16:58:51ID:b6lgp99T
音楽を書くのは精神(人の心)、音楽を演奏しようとするのも精神。好んで聞くのも精神。
従って、何ぞ精神性のない音楽が考えられよう。精神性の低い(通俗性の低い)音楽は淘汰される。
カラヤンがよい例。
0018名無しの笛の踊り2008/10/22(水) 00:40:26ID:0pfUW/7n
>>15
ほとんどが踊りのための音楽だったバロックはいわば「肉体の音楽」といっていい。
古典派を経てロマン派に至り音楽において「精神」が重要な位置を占めるようになった。
ベートーヴェンの「闘争から勝利へ」とか「闇から光へ」という理念は
まさに「精神の音楽」の萌芽だといえる。
これはたしかに当時のヨーロッパを席巻した
人間が神へ至る道としての精神主義の影響の下に芽生えたものなのだろう。
0019名無しの笛の踊り2008/10/22(水) 15:32:23ID:3MYcydRC
>>14

それは精神性ではない。精子だ。知らなかったとは言ってほしくない。

0020kyrie@鬱病 ◆.RYdSpBfEI 2008/10/22(水) 20:03:28ID:X5lLQ4xi
>>16

kwsk

>>17

音楽を書くのは、脳だと思ってます。
「脳が存在するのか」という問いは、その問が有効な時、すなわち未だ脳が存在しないとき、
脳のかわりになるものを準備していないがゆえに否定されます。
これはメルロ=ポンティが「見えるものと見えざるもの」で語ったことの応用です。

>>18

確かに。でも今でも、光から闇へ、という理念は絶えませんね、ノーノもシュトックハウゼンも西村朗もそう。
シュニトケやペンデレツキやサーリアホの解決なき暗さはそのアンチテーゼと言ってもいい
0021名無しの笛の踊り2008/10/22(水) 20:54:40ID:ZUsduxVU
>>20
詳しく説明すると大変なことになります。
とりあえずヘーゲルについて
勉強してみられるといいでしょう。
0022名無しの笛の踊り2008/10/22(水) 20:59:03ID:PByeuclm
>>20
クラ板のぴかぁにでもなるつもりか?
0023名無しの笛の踊り2008/10/22(水) 21:26:59ID:xkg7GsmR
ベートーヴェンの当時の楽器の限界を、平気で突き破る手法を見るかぎり、
不可知論者でないことは確かだろう
0024kyrie@鬱病 ◆.RYdSpBfEI 2008/10/22(水) 22:54:07ID:X5lLQ4xi
>>21

逃げましたね

>>22

あんな廃人と一緒にしないでください。
私は大学院で哲学を勉強するつもりで今頑張っています。
ぴかぁのようなニートにはなりません。
0025名無しの笛の踊り2008/10/22(水) 23:37:46ID:ZUsduxVU
>>24
kwskのひとことにわざわざ馬鹿丁寧に教えて差し上げる
義理も暇もありませんので。
調べればわかることに労を惜しむ人には
それなりの対応をさせて頂きます。
「精神」という言葉に当時の人々は
現代の我々とはかなり異なった意味を抱いていたということです。
当然当時の作曲家、演奏家、批評家理論家も例外ではありません。
ヘーゲルだけでなく、ヘルダーやディルタイらも合わせてどうぞ。
0026名無しの笛の踊り2008/10/22(水) 23:39:24ID:xkg7GsmR
>>24
唯物弁証法を言ったのは俺だ。
音楽史、演奏史の発展に時代の制約やアウフヘーベンが働いていることをよく見る必要がある。

例えばブラームス。一見、古臭い音楽なのだが、単なる古典派を踏襲してるのではなく、
否定の否定が働いている。

そこはシェーンベルクが見抜いたブラームスの革新性を見たらよい。

0027名無しの笛の踊り2008/10/22(水) 23:48:29ID:xkg7GsmR
時代の制約というのは、人間の意識を規定する。
そこでとどまるか、よりふみこんで、発展的な精神をもてるか、
そこに唯物弁証法の見方の重要性がある。

益田さんの話に、どういう哲学があるか、よく読見直して考えたらいいよ。

真理をすぐれた作品に置き換えるとよい。
すぐれた作品というのは必然性があるのである
0028名無しの笛の踊り2008/10/22(水) 23:58:25ID:xkg7GsmR
続き
ベートーヴェンの音楽に深い精神性が宿るのは、当時の社会体制の変化がある

貴族を喜ばす音楽か、民衆のための音楽か、そこに分岐点がある。
もちろん貴族を喜ばす音楽に名曲があることは否定しない

またバッハ、ハイドン、モーツァルトなどの音楽も、単なる貴族の娯楽にとどまらない、
先見性を持ち合わせている。
モーツァルトはフリーメイソンの思想も影響があろう。

自由・平等・博愛、これらは精神が先にくるのではなく、社会体制が欲していたのである。
0029名無しの笛の踊り2008/10/23(木) 00:52:04ID:oRQElHj+
ベートーヴェンの音楽は、人間の精神性とは反対の絶対音楽。
決して時代背景や文化のサポートを受けたものではない。

精神とは「敢闘精神」「スポーツマン精神」といった言葉に見られるように、
人間性本体、つまり思想や哲学により、人間が特定の方向付けをすること、
またその結果生まれた製作物。つまり芸術・芸術作品。
絵画や彫刻・文学・哲学書のことであって、本体は精神性・人間性。文字と視覚からなる。
これらは時代や地域、文化や言語、歴史の上にしか成立しえない。
価値や評価は時代によって変化し、相対的なものである。

 バッハ・ベートーヴェン・ショパン(マラ・ブルもかな?)の音楽はこうした精神性、言い換えれば芸術・人工物ではない。
自然界に存在する自然法則に則った人間の感情を抽象化したもの。
絶対的なものであり、時代や地域が変わってもその価値は不変。
宇宙や自然現象と同じように、人の手で作りかえたり、余計な思想を入れることはできない
人間の手の届かない所に存在する自然の抽象化表現である。
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