あるとき、わたしの音楽の最大の解釈者を自負していた指揮者ムラヴィンスキイがわたしの音楽をまるで理解していないのを知って愕然とした。
交響曲第5番と第7番でわたしが歓喜の終楽章を書きたいと望んでいたなどと、およそわたしの思ってもみなかったことを言っているのだ。
この男には、わたしが歓喜の終楽章など夢にも考えたことがないのもわからないのだ。いったい、あそこにどんな歓喜があるというのか。
第5交響曲で扱われている主題は誰にも明白である、と私は思う。あれは『ボリス・ゴドゥノフ』の場面と同様、強制された歓喜なのだ。
それは、鞭打たれ、「さあ、喜べ、喜べ、それがおまえたちの仕事だ」と命令されるのと同じだ。
そして鞭打たれた者は立ち上がり、ふらつく足で行進をはじめ、「さあ喜ぶぞ、喜ぶぞ、それが俺たちの仕事だ」という。
 これがいったいどんな礼賛だというのか。それが聞き取れないなんて、耳なしも同然だ。……
(『ショスタコービッチの証言』より)