>>252
>>メンゲルベルクやトスカニーニ
の頃は、偉い作曲家やその直系の弟子達がまだ存命だったから、
彼等から直接教えを乞う事が出来たし、指揮者は明かに作曲家(作品)に
従属する存在だった。
しかし徐々に作曲家の地位が低下して、作曲家の方が指揮者(演奏家)に
「経済的に」依存するようになってきて、そこからパラダイムがシフトして、若手が
教えを乞う対象というのが(往年の)指揮者自体になってきた(作曲家自体、単なる
主張する存在になり果てて、教える存在ではなり得なくなってた事もあるかもしれない)。
つまり、本来は作曲(作品)に対する解釈を学ぶことが、解釈自体を学ぶ事に変質して
いった。その境界がカラヤン・ショルティだった気がする。
もっとも、今は更に(世代が)変わって、指揮者が学ぶ対象が音楽学者になって
しまってる感がある。もう訓古学と変わらない。