結局、モツって漫才と一緒でコミュニケーションの本質なんだよ。練習すればうまくなる
けど、才能の部分が大きい。ただし、その才能は人間ならばみんな持ってるもの。言葉(ス
コア)自体はあまり大事じゃなくて、ボケと突っ込みのタイミングと、両者がうまくバラ
ンスされていることが重要。会話の上手さ、コミュニケーションの上手さは、一朝一夕に
形成されるもんじゃない。人間らしい社会的な生活基盤がなければいけない。ベートーヴ
ェンの音楽は会話下手男、妄想男の典型的なにおいがする。外見を気にすること=悪とい
う先入観から、聞き手のことを考えるとか思いやる、という人間に基本的に存在する意思
疎通の精神が皆無で、伝わりにくい表現法が多い。俺らがみんなに響くと思っているのは
勘違いで、女性や子供にはまず響かない音楽だと思う。おそらく、若い女性なんかが後期
作品を理解することはありえない気がする。芸術を女子供から取り上げて野郎の頭の中に
押し込んだ犯人はブル・マラではなく、間違いなくベートーヴェン。現在クラがなかなか
人々に受け入れられない音楽にしたのはベートーヴェン。クラをデートに使いにくい音楽
にしたのはベートーヴェン。みんな映画館にしか行かなくなってしまった。つまり、人類
に解放したはずの音楽が、結局は社会の中から消滅し、個人の頭の中にしか存在しなくな
ってしまったということ。せっかくモツが人間と人間とをつなぐ音楽をつくったのに、ベ
トの音楽は人間と人間とを引き剥がす結果しか生まなかった。後世の音楽も多くがこのタ
イプ。みんなで楽しむために生まれたテレビゲームが、結局子供同士の会話を奪ったのと
一緒。楽しくて、健康的で、普遍的で、性別年齢に関係なく響く音楽はモツだけ。