元々、クリュイタンスが得意としていたのはラヴェルであり、ドビュッシーに
はそれほどこの指揮者自身が乗り気ではなかったためではないでしょうか?
それと<時間が残されていなかった>事です。昔の東芝EMIの広告によれば
ラヴェルに続いてドビュッシーの管弦楽曲全集にとりかかったが果たせなかっ
た−−などと説明されていたけれど、<遊戯・映像>が1963年9月の録音
ですから、ここから開始されている事になり、実はクリュイタンスはPCOの
常任指揮者はこの時点では既に降りています。それに既にEMIとはパリ録音
、要するにPCOとの録音以外は行わなくなっています。だから録音量もかな
り減少しているし、主としてベルギーで活動していた様です。病を得ていたと
いうより、PCOとギクシャクしていた事のほうが録音機会を逸する要因では
ないかと思います。それ以上にこの指揮者がドビュッシーは演奏会ではとりあ
げていても録音には積極的ではなかったためではないでしょうか。