あのな、本当の精神性とは何かを感じさせてやろう。
例えば>>619はブラームス第4交響曲を出した。
この曲を演奏・感じる為には、東洋人なら次の漢詩を感じられなければ無理だ。
「内も、良寛。」だ。

  我生何処来    我が生は何処(いずこ)より来り
  去而何処之    去って何処にか之(ゆ)く
  独座蓬窗下    独(ひとり)蓬窗(ほうそう)の下に座して
  兀々静尋思    兀々(ごつごつ)として静かに尋思(じんし)す
  尋思不知始    尋思するも始(はじめ)を知らず
  焉能知其終    焉(いずくんぞ)能く其の終を知らん
  現在亦復然    現在も亦復(また)然り
  展転総是空    展転 総べて是れ空
  空中且有我    空中に且(しばらく)我れ有り
  況有是興非    況んや是と非と有らんや
  不知容些子    如かず 些子を容れて
  随縁且従容    縁に随って且く従容(しょうよう)たるに

「随縁且従容」 これが東洋的諦観というものだ。クライバーもカラヤンも落第だ。
これを第一楽章冒頭ハ音で表現できたのはフルトヴェングラー/ベルリンフィルのみ。

精神性とは、こういうことを言うんだよ。
軽々しく「精神性」などという語を使うな。