楽譜を音にする時テンポや和声バランスをどうするかは
どうしても演奏家が決定しなければならない。
そこで解釈の余地というものが出てくるのだが
ショルティの場合そこに閃きとか考え抜いた跡というのが
どうも見えにくく、最大公約数的なアプローチに収まってしまう。
そこであとは合奏の精度や音の迫力といった技術面を追及する。
タイプはちがうけれどハイティンクやデュトワにも通ずる
指揮者としての在り方かな。良し悪しは別にしてね。
精神性云々の問題もこういうことを間違った(いや本気だったら失礼)
語彙で表現しているのでは?