ギーゼキングのベートーヴェン:ピアノソナタ集(Tahra盤)について。
私もギーゼキングの大ファンなのでこれを買いました。しかしこれがどうも…。
ところで僕がギーゼキングを理解するに、彼にはふたつの側面があります。
ジャズ的即興弾きとばし屋、素っ気ない即物演奏者。
もちろんこのふたつは二重人格ではなくて混在している。
彼が最も素晴らしく輝くのは、一見素っ気なく即物的な演奏をしながらも、そこに即興的なファンタジーがきらめくとき。
モーツァルトやドビュッシーなどの晩年のEMIスタジオ録音にはその成功が聞ける。
ただしライブになったり、準備不足の演奏では単なる弾きとばし屋に終始してしまう事あり。
Tahra盤はまさにそれ。
これはザールブリュッゲン放送の放送録音、はっきりいってやっつけ仕事に聞こえる。
現代の音楽教育を受けた人なら、ギーゼキングのプロとしての素質を疑うかもしれない。
ちなみに彼のバッハ録音がDGから出てるが、あれもザールブリュッゲン放送で、同傾向の演奏だったと思う。
だがよほどのギーゼキング好きならこの演奏にもギーゼキングらしい輝きが聞こうと思えば聞ける。
僕も必死に食いついて通して聞いた。たしかにそれなりの輝きがあった。
しかし二度と聞く気にはなれなかった。売りました。
>>475
ギーゼキングのあの弾きとばしバッハが好きなら、Tahra盤が気に入る可能性もあります。

>>470
>究極の俯瞰主義
>細部の美しさへの無関心
その通りだと思う。シュナーベルやバックハウスやエリー・ナイなども
全体を掴んでそこから何を最も大切なものとして表現するかという事においてそれぞれの個性としている。
>ラベルの水の戯れに至っては今の感覚ではほとんど理解できない。
私は好きだが主旨にはまったく同意。ギーゼキングのラヴェル演奏は研究すると面白いのではないか。
ラヴェルを先駆とする現代的細部技巧曲に、
古いギーゼキングのピアニズムがどこで適合しどこで適合しないのか。
たとえばソナチネなどは、細部の表現はもちろん「省略」されているが、
さすがに3楽章形式の曲目だけあってすこぶる適正を示し、
ギーゼキングでしか表現し得ないはかなさが出ている。
で、これは現代のピアニストからは絶対に聞けない味わいがある。