ギーゼキングね。
ぼくも461がギーゼキングのどこが好きなのかは興味ある。

以下はぼくの考え。

ギーゼキングの演奏全般に共通しているのは、異常な素っ気なさである。
テンポ速め、ルバート、ゆらし、いっさいなし。
これは、ラフマニノフの演奏と似ている。
新即物主義うんぬん、という見方もあるだろうが、ぼくはこの現象はレコーディング
以前の究極の俯瞰主義というものではないかと思う。
今のように、録音された音楽がはんらんする前は演奏者は現在に比べ、細部よりも全体に対して
の関心がより大きかったのではないだろうか?
ギーゼキングとラフマニノフの録音を聴いて一番感じるのは、音楽の俯瞰的な美しさに対する関心に比べ、
極端なまでに細部の美しさへの無関心だと思う。
美しいところを弾き飛ばす。聴きたい内声は無視される。

録音以前の演奏は多かれ少なかれそうだった。しかしその俯瞰的な美のみに
極端にこだわったのが、この二人だと思う。
だから、ラモンド、ハンブルグからグールドにいたるまででも、聴いてみてもっとも違和感
があるのが、ギーゼキングのベートーベンだろう。

前にも書いたがギーゼキングのような演奏は録音が中心となった今、
滅びていくと思う。繰り返し聴かれる音楽では、必ずや細部への美が無視できなく
なるからだ。
例えば、彼のような30番はだれも望まないはずだし、ラベルの水の戯れに至っては、
今の感覚ではほとんど理解できない。

好き嫌いは言ってないつもりだが、反論が楽しみだなあ。