日本人の演奏が演歌的だったんでは?という意見が出てるけど
でならばブレハッチの表現が上等だったかと言えば、そうとは思えない。
「あれが西洋音楽的で、ショパン的で、いいの〜」と言うのであれば、
ピアノ演奏のうちのショパンというジャンルは、底が浅い綺麗なジャンル
に堕してしまうのではないだろうか。既にそのきらいは一部に感じられる。

「ショパンコンクールの審査にはショパンがわかっているショパン弾きが
適任」いうのは必ずしも当たっていないのかもしれない。
昔は、ショパンを得意とする審査員にせよそうでない審査員にせよ、
もっと幅のある人達が入っていたけれど、またアルヘリッチなどもそういう
幅を持っていたけれど(好きな演奏家ではないが)
今は典型的ショパコン出身者の審査員が多く、演奏の評価の尺度として
どうなのだろうかと思いもした。

今回の桐朋組が技術的脆さも感じられたのに対して、ブレハッチは破綻
が無いのはお見事。しかし表現としては、リリカル系演奏(或いは内省的
演奏)という視点で見たとしても、やはり表面的な芸術性だと思う。
技術的に破綻がないけど皮相的芸術性というのは、この前のユンディ
にも感じたこと。まだ若いからしょうがない面もあるけれど、
ショパンコン出身の某人気演奏家のスレを読んでいても疑問に思うんですよね、
こういうのが芸術的素敵と評価される風潮が、ショパンというジャンルに
取っていいのかどうか。商業的にはいけるのかもしれませんが。