>>46 ほいほい。
>>47
そりゃ、ドイツ浪漫派の人々は全員ベトを理想としていただろうが、
ベトはもう死んでるし、ベトの解釈にしても、ベルリンにおいても
ライプツィヒにおいてもメンの指揮する演奏を通して受容していたわけだから。
メンが死んだあと、ヴァーグナーが憎々しげに「メンの指揮するベトは
速すぎる」などと言っているが、これも、ベト解釈におけるデファクト
スタンダードとしてのメンの演奏があったということを示していまいか。

シューマンの1番も2番も金管のファンファーレではじまるが、この先例は
ベトにはない。あるのは、シューベルトのグレートとメンの2番「讃歌」。
グレートの発掘(byシュー)が38年で初演が39年(メンが指揮)、讃歌が40年で、
春が41年(メンが指揮)。この時代ベトは既に遠景にあると考えるのが妥当じゃまいか。

あと、シューマンのシンフォニックなパッセージにおいて、ベトにはなく、
いかにもドイツ浪漫派的であり印象的なのが、チェロ協奏曲の終楽章冒頭に
見られるような「タン、タン、ター」の強奏だが、32年初演の「宗教改革」に
既にあるではないか。つか、シューマンの交響曲はどれも「宗教改革」を
厚ぼったくしたような曲ばかり。それなのに、シューマンの曲が独自の感性を
存分にあらわしており、我々の胸を打つことについて、考えたい。

↑以上、長文レス失礼。でも書いてみて、これってモツとハイドンの関係にも
そのまま応用できるような論理展開のような希ガスるんです。