ちゃんとしたオーディオシステムと環境が整っていれば、微細な部分もヘッドホンに劣らず聴き取れます。
僕ちゃんちにはラジカセしかありませんけどね!

>>135-136
「耳を鍛える→音をすべて漏さず聴く→音源に近づく」
というのはちょっと飛躍していませんか?
音楽に関して「耳を鍛える」というのは、耳には届いているにもかかわらず知覚されていなかった部分に注意を向ける、ということではないでしょうか?

大江健三郎は子供の頃、大変な山奥で育ったそうです。大自然に囲まれた四国の山奥の村がよく小説の舞台になりますね。
さて、大江が小学生の頃見た映画に、木の枝が自然に盛んに揺れているシーンがありました。
大江少年は「枝があんな風に揺れる訳がない、誰かが揺すってるに違いない」と思ったのですが、
絶対に自然に揺れないと言い切る自信もなく、翌日の朝早く川辺に木を見に行き、そこで実際に枝が揺れているのを目の当たりにしたそうです。
そのことに気づいてから、それまで見飽きていた自然の風景がまったく新しいものに見えるようになった、世界がぐっと広がったと大江は書いています。
(細かいところは違っているかもしれません)
これと同じく、見ているようで見ていない、ということが音楽にもあると思うのです。本当はちゃんと聴こえているのに。

 
>昔、「ウォーリーを探せ」ってあったよね。〜
その例えは変ですね。
対象に近づけばよく見えるのは当たり前で、
離れててもちゃんと見えるのが目のいい人、なのでは?

>>137
獅子は我が子を谷底へ突き落とすと言います。
厳しい条件を乗り越えてやっと本物になれるということですね。