ま、とにかくメカニックを馬鹿にしてもロクなことにはならない。
メカと表現力のせめぎ合いが醍醐味なのだから。
その戦線から離脱したフジ子の音楽はもはや成長も成熟もありえない。

彼女を例にとってメカの不必要性を説くのは一般人には無意味。
ピアニストの最低限の条件がメカであることは基本的には覆らない。
「フレキシブル」とはクラシックとは無縁。
逆に言えばフレキシブルになったクラシックとは既にクラシックとはいえない。

フジ子の公演はクラシックではなくポップアーティストのコンサート。
クラシック愛好家ではなく、「フジ子」という人が好きな人だけが集まるコンサートだから。
結局どんな曲で破天荒をしても揶揄されないという恐さは実感すべきだ。
あのホロヴィッツでさえ日本公演の時にヒビの入った骨董品と言われたのに。