クラシック演奏家であれば、楽譜の指示どおりに演奏できて当たり前。
個人の音楽嗜好の問題ではなく、音楽文化の性質である。
「作曲者の意図・原点とは?」というものが表現されているものが楽譜。
だが、楽譜の中に作曲者の意図を忠実に読み取り表現することは、没個性ではない。
「意図を忠実に」という部分に、演奏者の個性を反映させるからだ。
楽譜は、演奏者の技術には合わせてはくれない。
演奏者は、楽譜に書き込まれている作曲者の意図を表現できるようになるために、
幼少時から、日夜、地味で単調な練習を重ねていくもの。

楽譜どおりに演奏できないことを「許せない」とおもうのは、
クラシック演奏家として、最低限必要な意識である。
それは、一部の粘着の個人的な嗜好ではなく、
クラシック音楽という音楽文化そのものである。
(ジャズやロックなどの音楽文化とは異なる特質である。)

フジコの音楽は好きか嫌いかの問題ではなく、
クラシック音楽のスタイルをとっているのならば、
正しいか間違いかである。
その解は「間違い」である。