>>189

まあ、当然のことを書き込んだまでのことで、
クラシック音楽については、当たり前のことです。
フジコについての営業戦略やFan心理は、J-POPと同じものと考えられます。
J-POPは音楽ではあるが、その志向は音楽の方向にはなく、
あるものは、ルックスであったり、時流にのった(癒しなど)歌詞であったり、
また、セックスアピールであったりする。
それを全面にマスコミを介してアピールすることがすなわち営業活動である。
本来はミュージシャンではあるも、その歌や演奏自体の質がCDの売り上げとはならないことから、
おのずと、アピールする内容は、音楽以外にポイントがおかれることになる。
つまり、歌が下手ということはFanからすれば、問題ではないのである。
歌以外にアピールされていることに惹かれているからだ。
フジコもそれに類するものと考えられる。
そもそもクラシックを聴く、または演奏する人もだが、
好きな演奏はあるが、Fanという心理は少ない。
カラヤンが好きなのではなく、カラヤンの演奏した曲が好きなのであるからして、
カラヤンだけに信望してしまうことは少ない。
カラヤンとはいえ駄演もあることも冷静に知っているからだ。
また、曲自体が好きで、多様な演奏家の演奏を聴くことで、
より自分に感銘を与えてくれる演奏を探し求めることが、クラシック音楽の本来の聴き方と言えよう。
それに対してどのような演奏をしたものが、より感銘を与えることができるのかが、
演奏する側のスタンスだとも言える。その技術が演奏技術である。
技術だけでは、感銘は与えられないが、ハートだけでは、演奏するものの主観は伝えられない。
そのバランスのよさが、演奏の質の評価を左右するものである。
このようなスタンスで音楽を聴いているクラシックファンと、J-POPのスタンスで聴いているフジコファンとでは、
その音楽性についての共通した評価を見出すのは、困難といえよう。
だから、フジコはクラシックの演奏家としてではなく、演歌やJ-POPとしての
スタンスに看板を変えなければ、延々と演奏し続ける間、クラシック演奏家としての
非難をあびつづけることになるだろう。
そもそも、音楽は問題ではないのであるのなら、アーチストの看板も降ろすべきであるとおもう。