>>531
そりゃあ、「それなり」は演奏できますよ。まして相手はウィーンフィルだ。
でも、演目の大部分がウィンナワルツというプログラムを振る以上、それなりのシュトラウス観が問われるのは確かで、マゼール、小澤、ムーティ、アバド、いずれも他ではこんなプログラムは振ったことはないはずだ。
(メータは「こうもり」をレパートリーにしているが)
つまり、本来自分のレパートリーでない曲をニューイヤー限定のおつきあいで振っているわけで、退屈な演奏になるのは仕方が無い。
どんな曲、どんな作曲家にもそれが得意な指揮者、不得手な作曲家が存在するはずだ。近年の人選はどう考えてもそれを顧慮していない。
(より適していると思われるプレヴィンやグシュルバウアーは登場していないし)。
指揮者と楽壇の両方がシュトラウスはそれほどのものではない、どうせお祭りだからビッグネームでと考えているとすれば随分聴衆を見くびった話だと思う。