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外向きの表現というのは、ひとに聴かれることを意識した表現。
今の音楽教育の基本理念といえる。
レッスンの先生に気に入られるため、
発表会に聞きにくる人のため、
コンクールの審査員に気に入られるため、
幼少の頃から第三者のための表現を強いられつづけ
その結果とても耳ざわりのよい演奏する奏者が増えたけど
みんな右に倣えのものばかりになってしまった。
つまり結局その表現は最大公約の不特定多数へのためのもので個対個
として向き合うとと途端になにもきこえてこなくなってしまう。
そんなのは一方通行のものであり、少なくとも俺にはコミュニケートとはいえない。

ピカソは目に映ったものに、自分で自分を騙すことがないよう確認しながら
次第に対象の本質に迫っていった。でもそれがなぜ他人にわかるのかと
問われれば描かれた絵をみてくれとしかいえない。
(こういうとまた美の巨人と演奏行為は比べられんというやつが出て
くるけど、結局どちらも感じたことを表現しようとしている。かわりはない)
同じように内側をみつめた演奏でしか表現できないものがある。感じている
ことを見極めつづけた奏者だけからしか聞こえてこないものがある。
だからなぜわかるのかといわれたら聴いてくれとしかいえない。