要は、楽譜には人間の書くこと、ミスがある。
ミスは訂正してあたりまえだが、

ミスかどうか判断できるのは
その曲の真価、本質がどういうものであるか、
「感覚的」にわかるものだけじゃないだろうか。

(感覚に限定したのは、知識や理論は、
それを使うときのその人の感覚が伴ってこそ、本領を発揮するからだ。
持っているだけの知識や理論は、持っていない無いに等しい。)


真価や曲の本質と、結びつくための、楽譜コンバートは
ありうるだろう、というよりも、やるべきだろう。
しかし、これを本当に出きる資格のあるやつは
限られているだろう。

そして、それが正しいか正しくないか、
わかるやつも、演奏家にしろ、聴衆にしろ
限られているだろう。


本質からはずれた、ただ単に目立ちたいとか、
聴衆へのウケをねらうために行われたコンバートなら
それなりの娯楽的要素はあるかもしれないが、
芸術の域には達しないだろう。