>>451
無礼な人だけど、まあいいや。ちょっとお付き合いしましょう。

あのフィナーレが皮肉の表現だと言うなら、なおさら分からんのですね。
登場人物(特に男性陣)が凡庸さを皮肉られる場面は随所にあるわけで、
最後に見通しを悪くしてしまうような説明的なものを付け加える必然性が見あたらない。
それに、どちらかというとD-durよりもd-mollに帰結するのが自然に思える。

むしろ、フィナーレの役割がモラリスト達の反感を逃れるためだったとか
形式に倣って万人が受け入れ易くするためだったと考えた方が、私には納得がいきます。

私には今日一般論な理解なんてものには興味がありませんけど、
さすがに今どきデモーニッシュ云々を引っ張り出すつもりも無いし、
ましてや結尾部(ホフマンさえ褒めた)の出来が悪いから切りたいって話じゃないです。

>イドメネオ以降、モーが自分のオペラ台本に対して、きっちり自分の主張を通していた

どうでしょうね。他の作曲家に比べれば台本家に多くの指示を出していたそうですが、
結局は、依頼主・興行関係者の要望や聴衆の嗜好を優先させたのではないでしょうか。
フィガロやドン・ジョヴァンニの台本がわりと上手くまとまったのは、
ダ・ポンテがダメ出しを予測し回避する知恵を持っていたからだと思います。