>>447

いや、あんたみたいに音楽による皮肉の表現なんかを全く理解できん人に
反論したのが悪かった。いいから思う存分ホラを吹きまくってくれ。

地獄落ちの異様なテンションの後の、あの全体的に(音楽と歌詞を総合的に
感じた場合、という意味だ)白々しいフィナーレは、超人的悪漢ジョバンニに
対して、残りの人らに内在する日常的な凡庸さ(無論彼らもこのドラマの
なかでは、ジョバンニの超人性の余波を受けて、非常にヒロイックに
なっている場合が多かったのだが)に対する、モーの醒めた皮肉を
表現しているというのは、今日一般的な理解だと思っとったよ。

このオペラのロマン主義的解釈で名高いE.T.A.ホフマンでさえ、最後の
フーガに関してはほめとったのに、その上を行くアナクロニズム的解釈を
開陳しておいて、それにたいする批判を鼻先で吹き飛ばすとは、447の
超人ぶりもたいしたものだな。

まあいいさ。イドメネオ以降、モーが自分のオペラ台本に対して、きっちり
自分の主張を通していたということも知らん447が、ここで自説をごり押し
したところで、別に誰も困らんし。

ついでだから447改訂版の台本でも示してくれ。

マルゴワールは、ウィーン版に関する以前の説に従っただけだと思う。