演奏(特にオケモノ)では、(自然哲学的な)指揮者だけで音楽を作るものではない。
ソロには当てはまらないですが、いわゆる「〇〇フィルらしさが失われた」とよく言われている現象と思う。

「自然に接してない」といったのは、それよりもたくさんの時間を、
機械に触れている、ということを裏にこめていたわけで、
オーディオ評論家の菅野沖彦さんが
「この年からパソコンをはじめるよりかは、
もっといろんな世界を見ることに時間を使いたい」、
という趣旨の発言をされていることが記憶に残っています。

今にして思えば、こちらの説明不足でしたが、
詭弁、すなわち、こじつけ、と、揶揄されるほどひどい論を考えてはいないつもりだったので、補足してみました。

あくまで私の物の見方であって、これが絶対だというつもりは毛頭ありません。
以上、ここまでお付き合いくださった方、どうもありがとうございました。<(_ _)>