「全てはシンプルに見えた。音はあるべき場所にあり、何の小細工も
なく、何の驚きもなく、聴いたことがないテンポ。解釈はドイツ人が
軽い皮肉を持って言うwerktreu(完璧に機能的なこと?。道具に使う
言葉だと友人のドイツ人が言っていた。)だった。それにも関わらず、
起こったことは奇跡的だった。」ベームのフィデリオを聴いた時の映画
監督のイングマル・ベルイマンの感想である。(中略)数年前に、ヨー
ロッパを代表する「権威」とやらがいった、「ベームなど指揮者でも
なんでもない」という言葉よりは、ベルイマンの言葉はよほどベームを
正確に判断しているように思える。
   (中略)これらの録音は実際、werktreuだ。仮に、
楽譜に対してはそうではないしても(ベームは時として繰り返しに
古臭い軽蔑を示している)、この偉大なオーストリードイツ系の指揮
者が伝統的に持っている特徴と、精神に対してその言葉があてはまる。
ベルイマンは、彼のテンポは聴いたことがないと言った。最高の場合、
そんなテンポはこの録音で聴かれる。ベームのベートーヴェンは大
地と炎から成り立っている。最悪の場合、彼のテンポには人はもう耐え
られないと思うかもしれない(例えば、8番の最終楽章)けれども、
そんな時でも彼の語法と言葉は音楽に特別な位置と特質を与える。フ
ラマン的というよりは、オーストリー的で、少しも悪いものではない。