>>450
原作との比較をしたいんじゃなくて、「映画で残ってる、原作であったシーン」「映画で付け足されたシーン」「映画でカットされた原作であったシーン」を知ることで、映画のテーマを見ようって話。

で、それで見た場合、「映画で残ってる、原作であったシーン」の中に、映画のテーマと合わないシーンが一杯あって、ちぐはぐな内容になってるということ。
原作のテーマと映画のテーマは違うのに、原作の要素がいっぱい残ってて、それが映画のテーマと喧嘩しちゃってるのよ。

押井アレンジで、カレーからホワイトシチューに変えたのにスパイス入れたままになってて、味がどっち付かずになっちゃった、みたいな。
カレーかホワイトシチューかのどちらかになってれば、別にどっちでも文句は無い。

「原作通りにやれ!」じゃなくて、「原作の要素残したせいでチグハグになってるから、いっそ原作完全無視すりゃ良かったのに」とすら思ってる。

たとえば「若者よ、同じこと繰り返してないで、大人になれよ、挑戦しろよ」ってテーマだとしたら、クサナギが自分の子を見て「時々イヤになる」理由は?
ましてや、クサナギが娼館に押しかけて、1時間フーコを追い出してセックスして、子どもを作って生んだ理由は?
クサナギが「本当の大人(自立した大人)」になりたいなら、ティーチャを殺す必要もないし、クリタジンロウを殺す必要も無かった。
「いつまでも子どもじゃダメだ。大人になれ」って話だとしたら、作中「大人の男」とされているティーチャを倒さなければならない理由は?
「大人になる(自立する)」とは、他の大人を倒すことではなく、上手く共存し生きていくことでもあると思うけど。

あと、湯田川の例や、三ツ矢の話、エンドロール後でわかるように、「キルドレは死んでも再生され、その生は何度も何度も繰り返される」っていう設定が映画にあるわけで。
ちなみに湯田川の新聞の件とか、別人としての復活とか、エンドロール後の話とかは、映画オリジナル。
原作では、キルドレの死〜再生ってのは、映画みたいに確定的に書かれていない。
故に、ここが映画のテーマと結びついているはずだと言える。
クサナギの「私たちこのままだよ」も映画オリジナル。


映画オリジナルの部分は、
「殺して。じゃないと私たち永遠にこのままだよ」
と、それに対する最終的な回答の
「君は生きろ。何かを変えられるまで」
という台詞に繋がる要素なのに、映画の中にそのテーマに繋がらないノイズが混じってしまっている。

故に駄作だと思う。