私は、この物語は「全肯定」という要素を表現していると思う。
グランマンマーレが不良娘を受け入れるのも、
ソースケが、
母親を受け入れるのも
トキさんや他のおばあちゃんたちを受け入れるのも、
かわいいというだけで、人面魚→人のポニョを受け入れるのも
ポニョが、優しくしてくれたというだけでソースケを受け入れるのも、
全部、全肯定という要素を表現したいがためじゃないかと思っている。

ちょっと危ないやつと思われても結構だけど、スピリチュアルの世界では、
全肯定が必要だって言われてる。そこから来てるんじゃないかと思ってる。

リサを完璧な母親にしなかった意味は、そこにあるんだと思う。
欠点はあっても愛すべき人、ソースケは母を愛してるよってことを見せたかったんじゃないかな。
またリサもソースケを愛してる。
ちょっとご飯が遅れても、ソースケが慰めてくれて、元気振り絞れるくらい愛しちゃってる。

母性が感じられないという意見は驚いた!
抱きしめるシーン、不審者から子供を守ろうとするシーン、
子供にライトを持たせるシーン、
不安感をぬぐうためにかな・・水はでるかなぁ〜?とオドケルシーン、
子供の遊び心を喚起するために、目をとじさせてハムを入れるシーン
(子供持ってる人は、よくこういうことするよね?)
ものすっごい母性感じたよ。