これも、当時からKISAKIが、軍師としての才能を覚醒させていたからこその出来事。
まさに彼は、早熟の天才児だった。
が、当のLeviaは、KISAKIの誕生日でもある1994年3月10日に行った、高校卒業記念も兼ねたワンマンライブを持って解散。
和歌山の音楽シーンに疾風のごとく短き歴史を刻みながら、KISAKIは単身で大阪へと進出していく。
これは“KISAKIの15年の歴史”に於いて、常に付きまとってきたことだが
KISAKI自身の精神性の高さとセンスに同等に接する才能を持ったアーティストと、彼自身巡り合うことが難しかったのだろう。
パートナーとなるメンバーとの巡り合わせには、つねに不遇を受けてきた。
La:Sadie's以降こそ、KISAKIがリーダーとなり、才能の育成をバンド内でも行ってきたが、
それ以前は、バンド内で対等な関係を求めようとしても、KISAKIの突出した才能を受け止めきれるメンバーに巡り会うことは、とても困難な事であったのも事実。

このkisakiヒストリー書いた人、正気かしら・・・