>>449ウザイ
調べが足りないからそういうことになる

中国では当たったら「得た」といい、はずれたら「失う」と表現していたようです。
『字通』(白川静著/平凡社)にも、「得」という字には「当たる」という意味があると書いてあるようです。

“[中庸、十四]子曰く、射は君子に似たる有り。諸(こ)れ正鵠を失するときは、反って諸れを其の身に求む。(『字通』白川静著)”

「正も鵠も、弓の的のまん中の黒星(『角川漢和中辞典』)」のこと。つまり、正鵠を失するとは、的のど真ん中に命中しないこと。

「失」の反対は「得」。
つまり、「正鵠を得る」とは、的のど真ん中に命中すること。
広辞苑でも「正鵠」を「的の真ん中の黒丸のこと」とした上で、「正鵠を得る=核心を突く」と書いてあります。
つまり、「得る=当たる」ということを、日本の辞典でも認めているわけですね。


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これに対して、「的を射る」は厳密に言えば動作を表す表現。
弓で的を射た後、的に当たったかどうか、まして正鵠(ど真ん中)に当たったかどうかは示していない表現です。

日本語で的に当たったことを示すとすれば、「的を射抜く」。
正鵠に当たったことを示すとすれば、「的のど真ん中を射抜いた」でしょうか。

従って、弓で的を射てど真ん中に当たったことを正しく表現するとすれば、
「的を射て、正鵠を得た」
「的を射て、ど真ん中を射抜いた」
のいずれかになるだろうと思います。

ただ、正鵠というと、なにそれ?ってわかりにくいので、正鵠→的にしてしまったのでしょう。
とすると、上記表現は、
「(的を射て、)“正鵠”を得た」 →「的を得た」
「(的を射て、)“ど真ん中”を射抜いた」 →「的を射抜いた」
のいずれかになるはずです。



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このようにして、「的を得た」という表現が定着したのだと思いますが、市民権を得るということは漢語の語源が薄れていくということでもあります。
語源から全く切り離されて、この言葉に純日本語的に疑問を持つ人が出てくると思います。


「的を“得る”ってどういうこと?」という疑問から、的なんだから“射る”んじゃない、という具合に再定義されて「的を射る」が正しいと思われるようになったのではないかというのが、私の推論です。

(既に、「正鵠を得る」を書いている広辞苑にも、「的を射る」と掲載されています。上に書いたように、「的を射る」という言い方自体が正しい日本語ではないと思っているのですが… ^^;)