韓国では「君はいないか」はhideのの追悼曲だと思われてるらしいぞw

>「ひと目で分かりました。 心を病んでいる人だということを」。
パルチザン討伐隊長のチャ・イルヒョク氏の息子で、仏教新聞の社長でもあった車吉辰僧侶(61)が、
日本ロックグループX−JAPANのメンバーTOSHIさん(本名・出山利三、41)に初めて会った時のことだ。
05年の夏、札幌でだ。
車僧侶はそのTOSHIから悲しみや辛さを感じたという。
「HIDEの死のためか、長い間歌わず、表情が暗かった」。
たまたま車僧侶は霊魂救済儀式の‘救命施食’をしていた。
救命施食とは、もともと体と心の病気に苦しんでいる衆生を高僧が治癒する儀式をいう。
車僧侶は踊りと歌・公演を行うこの儀式を通じて、
日本に強制徴用されて犠牲になった韓国人や米同時テロで犠牲になった人々の霊魂を慰めてきた。
車僧侶はTOSHIを訪れて対話した。
「グループ活動でトップに立つ歓喜まで味わったが、その当時は人生の座標を失ってさ迷っていました。
いろいろな話をしてくれました。 そうすると気持ちが楽になり、長いあいだ遠ざけていたマイクも握ることになりました」。
どんな話をしたのか尋ねた。 禅問答のような答えが返ってきた。
「TOSHIに‘私の花が一つ咲いているからといって花畑になるわけではないが、
私とあなたが一緒に美しく花として咲けば、自然にこの世は花畑になる’と話しました」。
その意味を尋ねた。
「HIDEという花が消えて悲しいが、それでもTOSHIという一つの美しい花として自ら咲いていれば、
結局はHIDEも美しい(霊魂の)花として咲くはずだ、との意味です」。
その後、絆を深めてきた2人が23日晩に再会した。 車僧侶の救命施食20周年を記念する行事だった。
車僧侶は‘救命施食’を公演のように作り上げ、この日晩、大学路(テハンロ)の小劇場の舞台に上げた。
車僧侶は来月20日まで、毎週月曜日と旧正月連休を除いて毎日、公演を行う。
23日の公演は霊魂結婚式をテーマに、伝統舞踊と東西洋の音楽が交わる舞台を披露した。
そして一人の特別ゲストとしてTOSHIを迎えた。 TOSHIは舞台でHIDEを追悼して作った曲「君はいないか」を日本語で熱唱した。
哀切のメロディーに涙を流す観客もいた。 中年が多い観客にとって馴染みのないX−JAPANのメンバーだったということは関係がなかった。
真心が通じたのだ。 車僧侶も目を閉じて聴いていた。
車僧侶の‘解寃’のためかどうかは分からないが、X−JAPANは3月に再結成を控えている。
車僧侶はこれまで言論界と文学界で汎宗教的な活動を行ってきた。 今後は宗教という枠を越えて、救命施食を通した‘解寃’に広く深くまい進したい、と話す。
霊魂を慰めること、宗教を越えて苦しむ人々の傷を癒すのが自分の仕事だと感じているためだ。
なぜ救命施食を20年間も続けてきたのかと尋ねると、こう語った。
「花が散ってこそ実を結び、川を離れてこそ海に行くことができる。 私たち、大いに笑いましょう」。