森田療法について静かに語ろう par11
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0331優しい名無しさん
2007/11/12(月) 20:50:45ID:dBAV3V3X子供の心は純である、素直である。大人になってきて、少しずつ好き嫌いとかあれが
欲しいとか、あれが入らないとか、いろいろの智慧を付けて、又経験を積んでくる時
心に引っかかるものが出来てくる、自分の理想とか、自分の失敗とか、いつも自分を
反省するようになってくる、ここまでは未だ大丈夫なのですが。
ここからがいよいよ、神経症の始まりに成ります。心に起こった事「良い感じ、心地よい
こと、褒められた事等」良い思い、良い思いで、安心など。
心に起こる事は上記のものだけではありません、「嫌な感じ、心地の悪いもの、しかられる事
怖い思い等」はっきり言って不安、恐怖、などです。
この事を分別と言います。分別する事を西洋的には「智慧のりんごを食べる」と言います。
この分別をする時から人間には苦しみが始まります。その時が神経症が始まります。
その人の持ってる素質でも、その時の体験からでも、何かのきっかけで、神経症の症状が
出始めてきます。人によって様々な症状が出ますが、基本的には同じ原理から発症すると
言えます。どう言う事かと言うと、嫌な事を嫌だと思っているうちは未だ良いのです。
ここからが分かれ道になります、「嫌な事、不安、恐怖感」などが沸き起こった時に、今度は
追い出そうとし始めます。このときに症状が固定され始めると言って良いと思います。
神経症の原因は元をただせば本人の分別心から起こっている事なのです。
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