>>333
言いたいことは分かるが、ある程度は仕方がない

数回経験すれば自然と分かることだが、
Haskellで泥臭くやると、C言語などで泥臭くやる場合以上に
面倒で、スパゲッティで分かりにくくなり、かつメンテが難しくなる

Haskellで泥臭くやるということは、手続き的な、
つまり計算「順序」に過剰に縛られたプログラムを書くということ
順序に縛られているから計算が一本の長い紐になり、
それがソース上の関数群を複雑に縫い止める

C言語などなら、そこから少しずつリファクタリングし、処理単位の小さくし、
縫い合わされた巨大な処理を細かくばらすことは良くある

でもHaskellでは一度複雑に縫い止めた関数群を少しずつばらすのは容易ではない
計算順序を意識しすぎた為にそうなったのであり、その意識を変えなければ無理
考え方そのものを変えた場合、少しずつ修正するよりは全てやり直した方が早い

そうすると、後で全てやり直すくらいなら、初めから意識を変えて、
計算順序に過剰に縛られないように作ることに意識が向くようになる

初心者のうちは「意識を変えなければならない」という事が面倒でたまらないが、
そのうち「わざわざ」泥臭いことをやってはいけないという意識は消えていく
自然と泥臭いことをしなくなる