あえて他の言語との比較はしなかったのだけれど、 >>490 が「易しい言語」を持ち出しているのでそのことにも触れよう。
「教育用」という立場からすれば言語が易しいことは必ずしもデメリットとは言えない。
教育したいのは言語そのものでなく、基礎的なアルゴリズムだったり、問題の定式化だったりするから、言語で手間を書けたくないからね。

ただ、ウィトゲンショタインは言葉の限界が世界の限界であると述べている。 言葉が考え方を縛ってしまうのだ。
(共産主義の国家で表現の規制が行なわれやすいのは、それが思考に方向性を与えるのに有効だからだ。)
例えば Java なら問題をオブジェクト指向で解決しようとする。
Java で教育された者はオブジェクト指向に考え方が制約付けられてしまうわけだ。

一方で、 Scheme 使いなら大抵一度は読む SICP には様々なパラダイムの構築の仕方から書かれている。
問題解決に適切なパラダイムが何かということから考えさせられる。

産業界では Java とかが幅をきかせているけど、 LISP の何でもアリっぷりはチームでの開発には向いていないことがわかっている。
言語自体がある程度の枠組みを持ってないと統制が取れないんだ。 無秩序になる。
それと、チームではたとえ個人の能力を制限してでも全員が一貫した方向性を持った方がうまくいくと言われている。
こういった産業界での事情を考えると、個人の能力を伸ばすのが適切な教育なのか、使える教育なのかということになる。

だから、どんな言語が適切なのかはまずどんな教育をするのかを定義しないと評価不能ってこと。