>>514
>将棋でしか使えないようなアルゴリズムっていうのは、相対的に研究として
の価値は低いと思います。

そうは思いません。
将棋は駒と配置とルールだけが所与の条件ととらえられがちですが、実はそれらと人間の関係が将棋というものの実体です。
所与の条件のみで解明できたゲームはゲームの一部です。(これを「閉じたゲーム」と呼びたいです)
多くのゲームは人間の認知を条件に入れないと、アプローチすらできないものが多いです。(これは「開いたゲーム」と呼びます)

開いたゲームに解明は存在しません。
しかし、高度に訓練された人間が関わる開いたゲームには解明はなくとも解釈が存在します。
その解釈を(別の形で)実現することがゲームプログラムの研究の使命です。
ところが、プログラマの勘と一足飛びの実装にたよる手法では、限界が近づきつつあると見受けられますので、
勘の部分を対象化してきっちり概念化したほうがいいのではないかと考えました。

将棋の強さに特化されたプロの脳の中で起きていることは、その一部でも概念として外に出せれば、価値は高いと思います。
プロの脳内に個人的に死蔵されるか、一部のプロのあいだでだけ共有されてきた「なにか」を、
別の形になってしまうとはいえ数学的に共有し様々な操作や展開ができるようになるのですから。

そのなかには初歩的な数学として記述できるものもあるでしょうし、(それはすでにオセロ、チェスなどでも実現されていると思いますが、)
まったくあたらしい概念を準備されるべきものもあるのではないかとおもいます。
そしてそれこそがゲームプログラムの目指してきた目標だったはずです。

いち将棋プログラムファンとしては、勝ち負けや報酬だけではなくそういう理念が研究者を突き動かす衝動だと信じています。
小手先の調整で勝ちを拾うのは便宜的な手法だと信じてますので、
海外の研究者にこういったプランを整理した形で示される前に、
国内のプログラマさんたちで考えてみて欲しいところです。